mixiユーザー(id:31894606)

2015年06月11日17:16

4244 view

山のように存在する韓国起源説を簡単にまとめてみたNERVA yoyo32332さん

韓国起源説とは?

韓国起源説(かんこくきげんせつ)とは、韓国の個人・団体などが、他国の文化などの起源・伝播を朝鮮半島に求める、根拠不十分で非合理な言説群の俗称。韓国起源論ともいう。
研究者や文化人が個人的に主張する説から、公的団体が正式に主張する説まで多岐にわたり、一時的にマスメディアで流布される場合から、継続的に国際的な広報活動が行われる場合まで様々である。特に、日本文化や中国文化が対象とされる場合が多い。
また人物に対する韓国起源説の一種として、韓民族優越主義の観点から日本の各界で活躍している人物を事実や根拠にもとづかず在日韓国・朝鮮人であると主張する在日認定がある。



韓国起源説の実例

武芸(剣道、剣術、侍、武士道)
恐らく最も有名な例が、韓国人が主張する、剣道、剣術、侍、武士道の韓国起源説であり、特に剣道韓国起源説は韓国起源説が日本のネット上で注目されるきっかけとなった。剣道韓国起源説がネットを介して流布されたことにより、全日本剣道連盟に対応を求めるメールが殺到し、全日本剣道連盟は公式ホームページで、韓国起源説を否定する事態になっている。

剣道は日韓併合時代に日本から韓国に伝わった日本文化であり、韓国ではテコンドーと並ぶ人気武道である。日本の剣道との差は蹲踞(そんきょ)がないことや袴の色や形程度であるが、韓国最大の剣道団体である『大韓剣道會(Korean Kumdo Association)』や『世界剣道協会(World Kumdo Association)』が公式ホームページ等で、剣道の起源が韓国にあると主張しており、『国際剣道連盟(International Kendo Federation)』に参加していながらも、その正式名称は『剣道』ではなく剣道の朝鮮語音の『コムド(kumdo)』であると主張し、剣道の真の宗主国として当然であると主張している。『大韓剣道会』の広報理事の崔民秀は「『剣道は日本のもの』という誤った認識を正す」と述べている。


日本刀
・主張
韓国系移民が運営する世界各地の武術道場などで韓国古来の剣として使用している。
また、刀剣職人のホン・ソッキョンらが、「日本刀はまさにこの技術を我が国から盗み出して伝承している」「我が国の刀剣技術は三国時代と朝鮮時代、日帝時代を経ながら、刀剣職人がほとんど日本に連行されてしまった」「元々、我が国の伝統刀剣製作技術は世界的なものであり、刀剣技術者を無差別に捕えて連れ行ったことはよく知られた事実だ」、「日本には我が国が使った正統技術がそのまま伝授されていて、今でも良い刀がたくさん出てきています」などと主張。「韓国刀の原型を取り戻すために日本に学びにいく」とまで主張している。
・事実
韓国で伝統的に使われた剣は、鉄鉱石から鋳造で作った、両刃の直剣か「環刀」と呼ばれる片刃の直刀で、製造方法や形状が日本刀とは違う。韓国で大々的に日本刀のような形をした刀が使われるようになったのは、17世紀以降のことであり、当初は日本刀を輸入して模倣したものを「倭刀」と呼んでいた。それ以降朝鮮半島で作られた刀もやはり日本刀とは製造方法が違う。

居合道、抜刀術
・主張
韓国古代の武術コハプト(Guhapdo)として世界各地で道場を開いて広報活動をしている。正統武芸道場 正気館のイム・ヒョンス(林鉉洙)が「我々はいままで多くの物を日本に奪われました。今は我々の物を取り戻すべき時だと思います。居合道も高麗時代日本に渡っていった我々の剣術に過ぎません 我が国には新羅時代の花郎徒以前にも居合道という武術がありました。日本が国宝にしている七支刀も実際は百済の刀です。」と主張している。
・事実
居合(抜刀術)は室町時代に本格的に体系化されたものであり、居合道は明治時代末期になってから「武術」を「武道」化したものである。七支刀は儀礼用のものであり剣術とは関係がない。また、イム・ヒョンスは何か誤解しているようだが日本側は別に七支刀が百済由来のものであると言うことを否定しておらず、むしろ百済由来だからこそ国宝に指定されている。


柔道
・主張
剣道と同じように日韓併合時代に日本から韓国に伝わった日本文化であるが、Yudo(「ユド」と発音。柔道の朝鮮語音)の名で海外で普及活動が行われており、全米ユド協会(United States Yudo Association)はその公式ホームページにおいて、柔道の起源を朝鮮半島にあるとし、「柔道は豊臣秀吉の朝鮮出兵で日本に伝わりその後朝鮮半島では柔道は廃れ、20世紀になって日本から再輸入された」と主張している。
・事実
日本の体術の伝統は、文献によれば『宮中行事秘事』に伝えられる聖武天皇の神亀3年(726年)に行われたとされる相撲節会に遡ることができ、組討や、人を捕らえるための捕手などと呼ばれた武技がすでに行われていたことが確認できる。柔術と確認できる最古の源流としては天文元年(1532年)に竹内久盛が開眼し、子竹内久勝が広めた竹内流武術がある。江戸期には多くの流派が存在しており、明治期に嘉納治五郎が合理的な近代体術として整理体系化し、人間修養の精神を取り入れ「柔道」と呼称したものである。



道の精神
・主張
大韓柔道有段者会のヨ・サンファン会長が「柔道の発祥地は日本だが、『道』の精神は韓国から渡ったもの」と主張している。
・事実
日本の「道」とは「芸道」のことであり、中国の「道」(タオ)の哲学とは別物である。日本の「道」の精神とは、実演者の日常生活における立ち居振る舞いと、専門的な技術的修練を同一とみなし、双方の向上により、実演者の人格と技芸を相乗効果的に高めることを目指したものであり、日本独自に発展体系化したものである。



空手
・主張
韓国では、テコンドーの起源は三国時代以前から始まるテッキョンであると公式に認定されており、海外でも「韓国古来の武道」として普及に努めている。また、日韓併合時代にテッキョンが抹殺されたが、韓国がテコンドーとして復活させたとまで主張している。さらに韓国の一部には空手の起源をテッキョンに求める言説すらあり、韓国の釜山で開催された2002年アジア競技大会では、韓国人で構成される大会組織委員会が、公式サイトに韓・日・中・英の4ヶ国語で「空手の起源はインドで唐の時代に中国と韓国に伝わり、その後韓国が日本に伝えた」と記述し日本側が抗議するという事態が発生した。
・事実
空手は琉球から日本本土に伝わったもので、テコンドーは戦後に空手を参考にして新たに作られたものである。また、韓国が国技院副院長が明らかにしたところによると、「テコンドーの起源を三国時代以前とすることが一般的だが、 歴史的想像力を動員してもそれには無理がある。中国から日本へ入り、日本が改良して韓国へ入ってきた。テコンドーは空手の変形である。私も創始期にはテコンドーの起源をテッキョンとして本を執筆したことがあるが、海外に普及させる過程で昔からあった韓国の伝統武術だとすれば名分が立つからである。」と告白している。


相撲
・主張
中央日報が、日韓文化交流を紹介する中で、韓国シルム連盟関係幹部の「日本相撲協会は相撲の本流である韓国シルムへの待遇がなっていない」との心境を紹介し、相撲の起源をシルムとして紹介した。
・事実
日本における相撲の起源は古墳時代の埴輪まで遡る事ができ、シルムの方も高句麗時代に描かれた壁画や後漢書にシルムに関する絵・記述がある事が確認できるためどちらかが起源と言うような関連性はなく、別々に似たような競技が発生しただけなのではないかと思われる。少なくとも日本の相撲の起源が間違いなく韓国のシルムだとするような資料は、現時点では存在しない。



忍者
・主張
韓流ファンのフランスの若者が組織し、駐仏韓国文化院と韓国観光公社パリ支社と農水産物流通公社が後援して韓国文化を国際的に紹介する「Korean Connection 2011」が、「忍術は4世紀に朝鮮半島から日本に導入された韓国起源の武術」「多くのコリアンが忍者の里の甲賀や伊賀に移住した」と主張し、忍術をパリで公演している。また、韓国系移民がイタリアで運営する「スルサ道場」が、新羅軍の「花郎」の中にある特殊部隊「スルサ」が忍者の起源であると主張している。この中で「幾人かのスルサ戦士が日本に亡命し、日本の忍者の理論にアイデアを提供した」「スルサドーを含むすべての韓国マーシャルアーツに見られる瞑想テクニックは、日本の忍術の秘技のなかに残っている。」「日本のマーシャルアーツは太平洋戦争でいち早く有名になっただけ」と主張している。
・事実
これらの韓国起源説は、各種メディアに登場する、派手な武術を使ったり、忍法で変身したりする、空想上の「忍者」を思い描いて自説を主張しており、実在した忍者に対する基本的な認識が間違っている。実在した忍者は派手な特殊部隊や戦闘員というより極めて地味な諜報員や傭兵であった(実際の忍者が行ったのは「変身」ではなく「変装」)。忍術も起源説で主張されている「武術」や「マーシャルアーツ」の側面よりも諜報活動を円滑に行うための技術の集大成というべきものであり、「忍術=戦闘技術」と言う認識にも問題がある。そして「花郎軍事組織説」自体が否定されているので朝鮮半島に「スルサ」という戦闘組織が実在した信憑性も薄い。



茶道
・主張
『朝鮮新報』は「茶においては1千年前の新羅の時代の礼法がほとんどそのまま日本に取り入れられた」と主張している。また、茶道の祖の千利休の祖父が千阿弥と名乗ったことからその名をとって千姓と名乗っていたことから千利休を朝鮮人と主張していた。
・事実
茶を飲む習慣は遣唐使により中国から伝えられたものという説が有力であり、茶を飲む行為を哲学や教養や総合芸術にまで高めた茶道という文化は室町時代に体系化した日本起源のものであり、韓国の「茶禮(タレ)」とは全く関係がない。
日本における茶を飲む(喫茶)の習慣は渡来した当時はそれほど普及せず、一度は廃れてしまったが鎌倉時代になって禅宗が広まったのをきっかけとして復活した。茶の栽培もその時期に普及し、茶を飲むと言う習慣は一気に広まった。



盆栽
・主張
『中央日報』が、2009年6月17日版において、イ・ギョンヒ記者が盆栽は日本で生まれたものではなく、14世紀に朝鮮半島にて生まれたもので、その証拠として『四季盆景図 4幅屏風』なる絵画を元に起源を主張している。
・事実
実際の盆栽の起源は6世紀に中国で生まれ、遣唐使によって盆景として持ち帰られたものが、平安末期からの武士文化の中で磨かれ、日本独自に発展したものである。『四季盆景図 4幅屏風』は14世紀に朝鮮に盆栽のようなものが存在したと言う証拠にはなりえるものの、何故それが即「日本の盆栽の起源」になるのかは根拠不明。記事内でも説明はない。



折り紙
・主張
一部の在米韓国人の女性グループが「折り紙はもともと韓国(朝鮮)で作り出されたもので、日韓統治時代に日本人が自分たちの文化と偽って世界に広めた」と主張し、現地で折り紙教室を開いている。また、社団法人韓国折り紙協会は、起源については明確に言及しないものの、「日本の植民地時代に日本は韓国の文化を全面的に抹殺し、韓国の伝統的折り紙文化も排斥した。」と主張し、日本とは別の折り紙文化が朝鮮半島に存在したと主張している。また協会では検定制度により指導師を養成し、さらに、日本の折り紙を模倣したものを「韓国の伝統的折り紙」と称して世界各地で宣伝し普及活動をしている。
・事実
朝鮮半島には儒教祭祀で使われる折った紙の造形物は存在したが、日本のような多種多様な対象物を紙で折る「遊び」の折り紙文化は存在せず、祭祀で使われる造形物の様式も日本の伝統的折り紙とは全く異なるものであり、これらの主張は事実無根である。



花札
・主張
韓流ファンのフランスの若者が組織し、駐仏韓国文化院と韓国観光公社パリ支社と農水産物流通公社が後援して韓国文化を国際的に紹介する組織「Korean Connection」が、パリで開催した「Korean Connection 2011」で、花札を「韓国ドラマに良く出てくる韓国オリジナルのカードゲーム」と紹介している。
・事実
花札の原型となるカードゲームは安土桃山時代にポルトガルの宣教師が日本にもたらしたもので、花札の図柄やルールは日本独自のものである。韓国には日本統治時代に伝わっている。


豆腐、蕎麦
・主張
キム・ヨンボク慶南大学伝統食生活文化研究院長が「韓国のメミルククスを日本が模倣して蕎麦が誕生し、韓国のトゥブから日本の豆腐が生まれた。」と主張している。
・事実
豆腐は奈良時代に遣唐使により日本に伝えられたもので、韓国起源もしくは韓国を経由して日本に伝わったものではない。そして、日本人がよく知る現在のような豆腐は日本で発展したものである。
また、作物としての蕎麦は中国から日本に伝えられたと考えられているが、蕎麦粉を麺の形態に加工する「蕎麦切り」の起源は明確ではない。蕎麦切りの確認できる最古の資料は1574年に修復工事が完成した木曽定勝寺の寄進記録だとされており、初期の蕎麦切りの記録が信州周辺に多いことから、一般によく言われるとおり信州蕎麦がその起源であったのは間違いないと見られている。二八蕎麦の由来は諸説あり確定していないが、韓国の僧侶元珍が伝えたと言う確定的証拠もまた存在しない。



日本酒
・主張
日本酒の起源は韓国の清酒という説がある。日本人研究者が慶州の法酒は日本酒の先祖のようなものだと語った。また、古事記の記述の誤読で起源を主張している場合もある。さらに、近年、日本酒のルーツがマッコリであると多くの在日朝鮮人系酒店及び韓国料理店がWebサイトにて主張して問題となっている。
・事実
この主張は誤りであり、日本酒の本来のルーツであるどぶろくは口噛みの酒などに遡る事ができ、その発展と共に発酵方法や歴史的な流れも異なる。 なお現代のような清酒は、室町時代に奈良県の正暦寺で作られた僧坊酒「菩提泉」がその発祥であると考えられている。

寿司、刺身
・主張
ロサンゼルスのコリアタウンで寿司屋を経営しているキム料理長が「スシとサシミは元来、中国と韓国に由来するもので、日本にはスシが自分たちの食文化だと主張する権利が無い」「日本は第二次大戦以後にスシを食べ始めたが、韓国と中国は数千年間、スシとサシミを作ってきた」と主張した。また、キム・ヨンボク慶南大学伝統食生活文化研究院長は「韓国の食べ物パプシッケを模倣したのがスシ(壽司:すうし)だ。1700〜1800年頃寿司が最初に開発されて日本の代表的食べ物であるハコスシ(箱すし:サンジャチョパプ)が創造された。」と主張している。
・事実
「日本は18世紀、もしくは第二次大戦以後に寿司を食べ始めた」というのは事実無根で、浮世絵など江戸風俗を取り扱った作品を見れば江戸時代後期には今と同じような握り寿司が食されていた事がすぐ分かる。世界で一般的に「スシ」として知られている握り寿司の初出は19世紀初頭の華屋與兵衛が創作した江戸前寿司とされる。
酢飯を使った寿司の起源は必ずしも明確ではないが、少なくとも17世紀には存在したことが確かめられており、刺身の起源は14世紀までさかのぼることができる。魚介類の生食については日本では古代から広く行われ、『日本書紀』で磐鹿六雁命が景行天皇に鰹と蛤の膾を出したとの記述があり、これが日本料理の起源という伝説がある。



醤油
・主張
韓国の液体調味料の専門企業トンウンFCは、「しょう油は韓国が元祖」であるとし、「世界市場で韓国の伝統醗酵食品のしょう油が日本の製品のように認識されていることを正したい」と主張している。これについて、キッコーマンは「初耳です」とコメントした。
・事実
実際には第二次世界大戦後に朝鮮半島に残された(日本人が作った)醸造設備を利用して製造しており、韓国内で製造されている醤油の技術は日本発祥である。


納豆
・主張
National Defense Journal の主張によると、『納豆は韓国のダムブックジャンが起源である。「朝鮮出兵から帰った加藤清正が九州に納豆を広めた」という熊本の農業高校教師の菊池、平野の研究がある。一説には、7世紀中頃、朝鮮の僧侶が味噌玉麹豆を日本に持って行き、納豆を作ったという記録もある。』
・事実
塩辛納豆に関しては、奈良時代に中国から伝わった豉が起源であると考えられている(なお、糸引き納豆に似た食品は韓国には存在しない)。


海苔、海苔巻き

・主張
韓国CBSノーカットニュースによると「我が国の海苔養殖が日本より先立って事実上世界初という事実を知っている人はあまり多くなく、海苔をキムチのように我が国の代表的な食べ物に育成しなければならない。」と主張している。
また、のり巻き専門店「鐘路のり巻き」は、ウェブサイトで「我が国ののり巻きが日本に伝わって、彼らの習性や食生活に合わせて海苔寿司として発展し、私たちよりも記録が好きで、歴史歪曲を飯を食うように行なう彼らによって、逆として知らされたのではないかという疑問さえ起こります」と主張している。
・事実
「海苔の特性の上、ご飯を包んで食べる形態で取り扱うしかありません」と主張しているが、ご飯を包む板海苔は、江戸時代に和紙技術が進歩してその派生技術として誕生したものであり、その起源が江戸期の日本であったことは各種資料と交易記録からも明白である。
そして、韓国ののり巻きは日本料理に使われる巻き簾を使用する料理法も同じであるし、名称も韓国ではのり巻きを表す言葉がなく日本語と同じ「ノリマキ」と発音してきたものが、近年になって朝鮮語の国語純化運動によって「ノリマキ」を「キムパブ」というオリジナルの用語をつくって置き換えたものである。この名称の経緯からも、のり巻きは名称とともに併合時代に日本から伝わったという定説でもある『日本由来説』のほうが信憑性が高い。


和牛

・主張
韓国の『月刊外食経営』において弥生時代の中ごろに朝鮮半島から日本列島に持ち込まれた牛があることを論拠に起源を主張している。
・事実
和牛とは、明治時代に日本在来の牛と欧米の牛とを掛け合わされてできた、黒毛和種・褐毛和種・日本短角種・無角和種の食肉専門4品種の牛のことであり、公正競争規約上の定義では、上記の4品種間の交雑種及び4種の交雑種を含む5品種間内の交雑種が「和牛」と名乗ることを認められている。そして、南部牛のように、北方から日本列島に持ち込まれた牛の存在を無視しており、朝鮮島由来の牛の血統が混じっていることを拡大解釈し、日本列島で行われた品種改良を一切無視している。


長崎ちゃんぽん

・主張
釜山駅近くで中華料理店「中南海(チュンナンヘ)」を経営する衣が、中国のチャオマメンという麺料理が韓国華僑たちにより韓国に持ち込まれ「仁川地方の独特な食べ物」となり、日帝統治下に「ちゃんぽん」という日本語名が付いたと主張をしている。また韓国語版wikipediaでも仁川由来説が記載されている。
・事実
定説では明治32年、長崎の中華料理店「四海楼」の中国人「陳平順」によって発明、となっている。



「日本」の語源
・主張
歴史学者の朴炳植(パク・ピョンシク)が韓国語の「イルボン」が日本語の「ニッポン」の起源であると主張しており、朝鮮半島に存在した部族国家「ウガヤ」の国号が「ヤマト」であり、彼らが日本に渡り新しい国家「ナラ」を建てたと主張している。
・事実
古代朝鮮語は全く解明されておらず、「日本」の現代韓国語読みの「イルボン」を「ニッポン」の起源とするのは無理がある。
日本へ渡り「ナラ」を建てたとあるが、DNA調査で日本人は全くの別人種だと判明している。日本人は世界でも稀なY染色体DNAのD系統を高頻度で持つ人種。朝鮮半島や中国人は南方系O系統である。


「君」・「僕」 「君が代」の語源
・主張
李南教が、『「君」は、邪馬台国を建てた伽耶諸国の狗耶国国王の「金」(キム)氏が語源。
「僕」は、狗奴国を建てた金官伽耶の弥烏耶馬国国王の「朴」(パク)氏が語源。
「君が代」は、本来「金家の世の中」と言う意味』と主張。
・事実
君が代は平安時代に詠まれた和歌だとされており、現在の文面とはやや異なる。何故古墳時代の話になってしまうかは不明。また、実際は論争がまだ続いている邪馬台国の所在に関してもかなり断定的に「大阪周辺の邪馬台国」と「九州周辺の狗奴国」と述べるなど、日本の古代史をかなり都合よく解釈している側面が見受けられる。

「くだらない」の語源
・主張
韓国外国語大学校教養学部日本文化担当教授の洪潤基(ホン・ユンギ)が「くだらない」の語源は「百済ない」で、「優秀な百済の文物がないことはみすぼらしいこと=百済・ない」が「くだらない」の起源であると主張している。李南教が、「『クダラナイ』という言葉は直訳すれば『百済にない』になる。言葉の意味は『つまらない』だ。『良くて立派なものはみな百済にあるのに、これは百済にない。だから、つまらない』という言葉だ。」と主張。
・事実
当時の否定形は「ない」ではなく「ぬ」であり、否定形は「動詞の未然形+ぬ」で表記されるものであり、名詞の「百済」に直接打消しの「ない」や「ぬ」が付くはずもないのは言語学の常識である。「下る」という動詞が未然形に変化して「くだら」+「ぬ(ない)」となって「くだらない」となる。「下らぬ」とは公家言葉で下には行かないという意味も含む。さらに当時の一般大衆が「百済」という言葉の存在を知っているとは考えられず、ホン・ユンギの主張の信憑性は極めて薄い。


錦鯉
・主張
金方園水族館が、池を作る技術が百済から日本に伝わったことと朝鮮半島の故事に鯉に関わるものがあることから、錦鯉のルーツを日本ではなく韓国にあるものとしている。
・事実
4世紀の中国の書物にすでに様々な色のコイについての言及があり、この主張は韓国発祥や日本に伝わった説の証拠にはならない(コイ自体は西アジア原産)。
錦鯉と呼ばれる種類が出来上がったのは19世紀の新潟。


勾玉
・主張
韓国MBC放送の「勾玉の秘密」(2006/9/20)において、「燦爛たる黄金文化を成した新羅人たちは金冠だけではなくすべての装身具に黄金で飾った勾玉を採用し、長い間日本国にまで伝えながら勾玉文化を形成して来たと見られる。青銅鏡、刀と共に日本天皇が持つ三種の神器に属する勾玉は、韓半島から伝来されて日本建国神話にまで影響を及ぼしたと思われる。」と主張。
・事実
勾玉は縄文時代の日本が起源で、朝鮮半島に伝わったものと考えられている。朝鮮半島で発見される翡翠製の勾玉については日本の糸魚川で産した物が発見されており日本から朝鮮半島に渡った物であり、朝鮮半島において遺跡より翡翠の生産跡地は発見されていない。




16 8

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する