「社会」というシステムが上手く回る為には社会を構成する一人一人の人間が与えられたもしくは期待される役割をキチンとこなすことが必要である、と考える人は結構いると思われます。
で、その役割ごとに定められたあり方が所謂「らしさ」なのだと思います。
「らしさ」はマニュアルなので、自分のポジション(男とか女とか母とか管理職とか)に応じてそれに従った振る舞いをすれば社会の安定を求める人々に支持されて、それなりに上手いコトやっていけるというわけですね。
「自分らしさ」はひとまず置いといて、世間が求める「らしさ」に沿った振る舞いをするというのが従来の利口な生き方でした。
しかし社会とは変化していくモノであって、それに伴い「らしさ」が変わるのは驚くべきことではないでしょう。
その変化に付いて行けない者が古いマニュアルを振りかざして眉をひそめたり怒鳴ったりしているのが今の世の中なのだと思います。
古いマニュアルを知らない者や「こんなんやってられるかー!」とちゃぶ台返しをする者が増えてきた昨今の風潮は、「らしさ」とは単なる幻想でしか無い事に多くの人々が気付いている故の事なのではないでしょうか。
「らしさ」の呪縛を振りほどき、一人一人がそれぞれのあり方を互いに認め合う社会への過渡期ゆえの混乱が人々を揺さぶっているように感じます。
■「母は強く」なきゃダメですか? 聖母のラベルを剥がせる世の中に
(ウートピ - 04月15日 14:51)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=184&from=diary&id=5581979
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