長女が小学校にあがってから増えた日常生活のルーチンの一つ。一生懸命読んでくれるお話は、だいたい一週間くらい変わらないので、ご飯作ったりお皿洗ったりしてる時になんとなく聞いてる感じ。
長女が3年生になり、読むお話も段々長くなり、聞いていても面白いお話が多くなってきた、そんな感じのある日。
「ちいちゃんのかげおくり。かげおくりって遊びをちいちゃんに教えてくれたのは……」
自分の子供がコレ読む日が来るとはなかなか感慨深いものらしい。聞きながら、かげおくりとかなかなかできなかった(←はい、不器用〜)なぁ、とか、「ほしいい」ってなんかおいしそう、とか思ってたなぁ、などと考えているうちに、ちいちゃんお亡くなりになった。
現役の頃(←もちろん筆者が現役の小学生の時)は、戦争って良くないコトなんだよって遠回しに教えてくれる教材、くらいに思っていたけれど、曲りなりにも人の親になって、自分の子供が読んでるのを聞いていると、筆者のようなちゃらんぽらんな中年男子も結構いろいろ考えさせられる。
「……ねぇ、ちゃんと聞いてたの??」
「うん、結構ちゃんと聞いてた」
子どもたちを寝かしつけたあと、ランドセルに逆さまに押し込まれた国語の教科書を出してパラパラめくると、あった。結構いろいろな漢字がフリガナもなしに並んでいる。こんなのをスラスラと音読できるとか、長女も結構成長したものだ。
……にしても、先週の「九九の表全部音読」ってアレはいったいなんだったんだ? 読む方も聞く方も苦行でしかないですぜ、先生。
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