小田原駅に集合し、天守閣裏の三本の丘陵(天神山・八幡山・谷津)を見て回った。小田原高校の遺跡では埴輪が発掘され、注目を集めた。天守閣下の銅門あたりが八幡山丘陵の南端、慰霊塔のあたりが北端になる。戦後、発掘調査が行われたようで、工事に伴ってやる
小田原に7年くらい滞在した白秋と当地に生まれた信一の経歴などを日本橋学館大学教授 柳沢孝子さんの講演と俳優の蔀英治さんの朗読だった。幼少期から市長になった鈴木十郎と親交があり没後40年を経って昭和51年に小田原高校の上に石碑が建てられた。4
暖かくなりお花が咲き出しました。なりわい交流館のお花。雪割り草かな近くの花屋さんでよく見かける花に似ている。これはわかります。枝垂れ桜。
きのう小田原文学館に行って、藤田湘子と近代俳句の展示を見てきた。短歌とどうちがうのだろうか・・・よくわからないが、そのうち講演があるので、資料を読むのは面倒なので、聞くことにしよう。「愛されずして沖遠く泳ぐなり」私的な事情により師に冷遇され
神奈川県内でも小田原の鬼柳、桑原にしかいないめだかの里に行った。田圃と用水路を行ったり来たりして一年を過ごすそうだ。足元の草、花を見ながら、三時間弱説明を聞きながら歩いた。ナズナはぺんぺん草とも言うそうだ。昔、ぺんぺん草も生えない所で育った
午前中、お寺にお参りに行った。付け届けを忘れ、いったん帰宅し、また出掛けた。方丈さんが出てきて、しばし旅行の話をした。開発途上国の援助で高校教諭の頃、マレーシア、カンボジアなどに行ったそうだ。余裕のある人は海外の援助はいいと思う。次に一昨年
花屋で買ってきた水仙は二鉢咲いたが、去年だかの水仙は咲かないと思っていた。一昨日急に満開、びっくり、東北で被災したにも拘わらず、咲いたのも同じ品種かな・・・強い生命力を持っているものです。
昔の写真展を見てきました。写真の開祖 下岡蓮杖翁 天保14年(1843)オランダから輸入された一枚の銀板写真を見た伊豆下田出身、青年絵師下岡蓮杖は驚愕絵筆を折、科学や薬品、カメラの知識も無く、10数年の艱難辛苦の末、ついに写真術を会得して
給料日まであと何日・・・指折り数えながら足りるか・・・退職前の講習では健康・お金・やりがいだった。健康は無理せず。お金は年金だけで25万あれば。やりがいは、アルバイト、趣味に。打算的なのが嫌なのか、算術が下手なのか・・・足りない。衣食住に困
「木・技・匠」の祭典があった。石川漆器の石川満さんが大賞を受賞した。漆器の朱の色を濃淡少しずつ分けて塗ったものだった。朱は個人的には好きでないが、神社に使われ魔除けの意があるそうだ。木目の、人生をダブらせたような漆器が好みです。木は癒し、安
明治から昭和にかけ小田原に滞在した載仁(ことひと)親王と春仁王の講演が宮内庁の職員によってあった。昭和天皇実録と春仁王が通学した小田中の資料から読み解いた。大正10年の昭和天皇の欧州外遊に輔導役として随伴した。載仁親王は元帥、参謀総長に就任
生憎の雨だったが、宣伝の効果もあって多くの人が来ていた。国指定史跡小田原城跡御用米曲輪では遺構保護のため埋め戻すので、遺跡を見学するのは最後となった。戦国期、江戸期と御用米を備蓄した建物、池、庭園などだった。