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2019年09月21日14:00

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有色人種の解放者=大日本帝国

■私の故郷で日本軍は何をした? 「マレー作戦」職を捨ててまで追う理由 「鎖につながれたインド人兵士」
(ウィズニュース - 09月21日 07:00)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=220&from=diary&id=5796860

大東亜戦争は戦争は避けられたのか? 結論から言おう。
絶対に避けられなかった、と断言出来る。


そもそも日本は戦争を望んでいなかった。
一方のアメリカはインディアン虐殺以来、有色人種を殺して領土を広げる事を「Manifest Destiny」(明白な天命)と信じていた人種差別の鬼である。ワシントンD.C.は1917年までセパレート・シティとなっており、公共施設、学校、公共交通機関やトイレにいたるまで全て「白人用」「有色人種用」に完全に分けられていたのだ。
こうした光景が何の疑いも無い日常だった、という時代背景を忘れてはいけない。

そのアメリカにとって、有色人種で唯一列強(世界5強国)に名を連ね、国際社会で「人種平等」を訴える日本が死ぬほど目障りな存在だったことは想像に難くない。
 アメリカの対日戦争計画=オレンジ・プランは1906年に、対日戦争を想定した海兵隊上陸演習は1922年に始まっている。
アメリカ政府がデュポン社を支援し合成繊維(ナイロン)の開発を急がせたのは、日本と敵対関係になった時、日本からの生糸の輸入が止まるからだ。
ルーズベルトは就任直後に日露戦争におけるロシアの敗因を徹底分析させ、来るべき対日戦争に備えパナマ運河の開通を急がせている(1905年)。また1936年6月にはウィリアム・H・スタンレイ海軍作戦部長に対してハワイ オアフ島に住む日系人の行動を監視せよ、との命令を出している。真珠湾の5年以上前だ。

日中戦争においても蒋介石の国民党軍を手取り足取り支援し、シェノールトら軍事顧問と大量の義勇兵を中国側に送り込んだ。 このシェノールトという男は、日本が開戦の挑発に乗ってこなかった場合を想定して、「日本空爆による日米開戦プラン」を策定し、ルーズベルトの承認を得ていたことがアメリカの公文書「JB-355(Serial 691)AIRCRAFT REQUIREMENTS OF THE CHINESE GOVERNMENT」で判明している。

その後ABCD包囲網〜在米日本資産の没収〜鉄・石油禁輸措置で日本を徹底的に追いつめ、極めつけが実質的な宣戦布告文書=ハルノートだ。
極東裁判判事の中で唯一の国際法学者であり、国際法の観点からただ一人「被告全員無罪」判決を言い渡したパール博士の仰る通り、「このような要求を突きつけられたらモナコ公国やルクセンブルグでも武器をとってアメリカに立ち向かうだろう」である。
国際法に則って合法的に獲得した領土から日本人を全員引き上げろ、というのだ。これを現代に置き換えるとどうなるか? 例えるなら「九州と北海道から日本人を全員引き上げろ。」である。呑めるわけが無い。
ちなみにこのハルノートを起草したハリー・ホワイトという人物はコミンテルンのスパイだったことがヴェノナファイルというアメリカの公文書から判明している。


日本でも400年前に、ハルノートのような気の狂ったイチャモンを突きつけて戦争を開始した人物がいた。徳川家康である。豊臣家を攻める口実に、この狸オヤジは何とほざいたか? 「方広寺の鐘銘”国家安康”とは”家康”の字を切り裂き、間に”安”を挟んでおり、この家康を呪う言葉である」だ。

この幼稚園児レベルのイチャモンに対して、仮に豊臣方が「そのような意図は毛頭ございませんが、気に障ったようなので問題の鐘銘を削除しましょう。」と言えば、大阪の陣は避けられたと思うか?? そんなわけは無いのだ。
有り得ないイチャモンとは「何が何でもお前と戦争するぞ!」という確固たる意思表示である。

ハルノートを受け取った日本の選択肢は2つしか無くなった。開戦か、戦わずしてアメリカの奴隷になるかである。

現在の日本では「300万人もの犠牲を出すなら素直にアメリカの奴隷になった方がマシだった」とほざく日狂組に洗脳された馬鹿も多いが、どうやら「奴隷になる」という意味が判っていないらしい。

例えば、19世紀末フィリピンでアメリカは何をしたか?
フィリピンを侵略〜占領したアメリカ人の合い言葉は「唯一の良いフィリピン人は死んだフィリピン人だ」である。
抵抗する住民は徹底的に大虐殺、餓死させられ、公用語は英語となり、学校の教室にはジョージ・ワシントンの写真が飾られたのだ。自由も自治も人権も無い。文字通りの”奴隷”である。
イギリスは「砂糖が高く売れるから」という理由でインドの穀物畑を片っ端からサトウキビ畑に変えさせ結果数百万人のインド人を餓死させている。
こういうエゲツナイことをやっても奴ら白人に罪悪感は一切無かったのだ。当時、白人にとって有色人種とは人間ではなく家畜だったのだから。


もし日本がハルノートを受け入れ、戦わずしてアメリカの奴隷となっていたら世界はどうなってたか?
間違いなく白人による有色人種の奴隷支配がアジア、アフリカで永く続き、勿論黒人のアメリカ大統領など誕生しなかっただろう。


日本人はキチガイ日狂組による腐りきった戦後狂育と売国マスゴミのせいで、日露戦争と大東亜戦争がどれほど有色人種の独立に貢献したかを忘れている。
トインビーは日露戦争を「人類史の奇跡の一つ」と記した。
英チャーチル首相が「生涯最大のショック」とほざいたのは、イギリス海軍が誇る世界最新鋭の超弩級戦艦「プリンス オブ ウェールズ」と巡洋戦艦レパルスが日本の航空機攻撃であっという間に撃沈した事件だ。これは真珠湾のような不意打ちではない。戦闘態勢にある巨大戦艦を航空機だけで葬った世界初の事例である。これ以降、世界の海戦の主役が戦艦から航空機に変わったのだ。
それ以外でも緒戦において日本は米英蘭相手に連戦連勝を重ね、世界中に衝撃を与え続けた。結果的に負けたが、世界中の有色人種に「有色人種でもやれば出来る!」という独立の気概を芽生えさせたのは否定しようの無い事実だ。

これ↓が大東亜戦争前の世界地図である。
フォト

色が付いているところは欧米列強とその植民地。グレーが独立国だ。アジアの独立国は大日本帝国、タイ王国、シナの僅か3カ国。 そのタイ王国も、列強の圧力に屈して五月雨式に国土を割譲しており、もはや風前の灯火状態。シナは1927年以来、共産党と国民党とその他馬賊匪賊が内戦を続けており、既に国としての体を為していなかった。 他の植民地の人々は文字通りの奴隷である。上にも書いたが自由も人権も自治もない。家畜同然に扱われていたのだ。

(ちなみに日本に併合された朝鮮、台湾は植民地ではない。日本人と同じように高等教育を施し、日本の金で社会インフラを本土同様に徹底整備したのだ。京城帝国大学(現ソウル大学)は大阪帝国大学よりも先に設立された。日本統治の間に人口が2倍以上に激増していることが、何よりの善政の証拠である。)
この世界地図を完全に塗り替えたのが大東亜戦争だ。大東亜戦争の歴史的意義を一言で表すなら”白人支配に対する有色人種の独立戦争”である。

日本が明治開国以来、全うしようとしたのは「1国の独立」であり、国際社会において主張し続けたのは「人種平等」であった。日本人は白人の人種差別に決して屈しなかった唯一の有色人種だった。

今の国際社会は、少なくとも建前上は「人種平等」を当たり前のように認めているが、その口火を切り大きな炎としたのは唯一日本だけだったことを絶対に忘れてはいけない。
白人絶対の時代を終わらせたのは全て日本単独の力だった、ということを日本人は深く自覚しなければいけない。立派に戦って下さった祖父、大叔父、曽祖父に深く感謝し、誇りに思わなければいけないのだ。

人種平等実現とは20世紀最大の事件の一つである。
トランジスターや核兵器と言った科学技術分野は、いずれ誰かが作る。しかし「白人絶対」の時代は有色人種の誰かが立ち上がって”実力”で打ち破らない限り絶対に終わらない。


有色人種が、白人から「家畜」と見なされていた時代に我々の祖先は有色人種の中でただ一つの近代国家を作った。
そればかりか白人の強大な帝国=ロシアと戦い、それを打ち破りもした。欧米列強の奴隷だった各地の有色人種を解放し独立に導いたのだ。
この人類史上最大の偉業を何故素直に誇りに思わないのか?


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韓国 韓日文化研究所 朴鉄柱氏
「現在の日本の自信喪失は敗戦に起因しているが、そもそも大東亜戦争は決して日本から仕掛けたものではなかった。平和的外交交渉によって事態を打開しようと最後まで取り組んだ。それまで日本はアジアのホープであり、誇り高き民族であった。
最後はハル・ノートをつきつけられ、それを呑むことは屈辱を意味した。“事態ここに至る。座して死を待つよりは、戦って死すべし”というのが、開戦時の心境であった。それは日本の武士道の発露であった。日本の武士道は、西欧の植民地勢力に捨て身の一撃を与えた。
それは大東亜戦争だけでなく、日露戦争もそうであった。日露戦争と大東亜戦争──この二つの捨て身の戦争が歴史を転換し、アジア諸国民の独立をもたらした。この意義はいくら強調しても強調しすぎることはない。
「大東亜戦争で日本は敗れたというが、敗けたのはむしろイギリスをはじめとする植民地を持った欧米諸国であった。彼らはこの戦争によって植民地をすべて失ったではないか。戦争に勝ったか敗けたかは戦争目的を達成したかどうかによって決まる、というのはクラウゼヴィッツの戦争論である。
日本は戦闘に敗れて戦争目的を達成した。日本こそ勝ったのであり日本の戦争こそ「聖なる戦争」であった。二百数十万人の戦死者は確かに帰ってこないが、しかし彼らは英霊として靖国神社や護国神社に永遠に生きて国民尊崇対象となるのである。」

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インド元大統領 ラグ・クリシュナン氏
「インドは当時、イギリスの不沈戦艦を沈めるなどということは想像もできなかった。 それを我々と同じ東洋人である日本が見事に撃沈した。驚きもしたが、この快挙によって東洋人でもやれるという気持ちが起きた。
(昭和44年「日本経済新聞」)

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インドネシア元情報宣伝相 ブン・トモ氏
「我々アジア・アフリカの有色民族は、ヨーロッパ人に対して何度となく独立戦争を試みたが、全部失敗した。
インドネシアの場合は、三百五十年間も失敗が続いた。 それなのに、日本軍が米・英・蘭・仏を我々の面前で徹底的に打ちのめしてくれた。我々は白人の弱体と醜態ぶりをみて、アジア人全部が自信をもち、独立は近いと知った。 一度持った自信は決して崩壊しない。 日本が敗北したとき、『これからの独立は自力で遂行しなければならない。 独力でやれば五十年はかかる』と思っていたが、独立は意外にも早く勝ち取ることができた。」

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インド極東国際軍事裁判判事 ラダ・ビノード・パール氏
「要するに彼ら(欧米諸国)は日本が侵略戦争を行ったということを歴史にとどめることによって、自らのアジア侵略の正当性を誇示すると同時に、日本の17年間(昭和3〜20年、東京裁判の審理期間)の一切を罪悪と刻印する事が目的であったに違いない。
私は1928年から1945年までの17年間の歴史を2年7ヶ月かかって調べた。 この中にはおそらく日本人の知らなかった問題もある。それを私は判決文の中に綴った。
その私の歴史を読めば、欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であるということがわかるはずだ。
それなのに、あなた方は自分らの子弟に、「日本は犯罪を犯したのだ」「日本は侵略の暴挙を敢えてしたのだ」を教えている。
満州事変から大東亜戦争にいたる真実の歴史を、どうか私の判決文を通して十分研究していただきたい。日本の子弟がゆがめられた罪悪感を背負って、卑屈、頽廃に流されていくのを私は平然として見過ごすわけにはゆかない。 あやまられた彼らの宣伝の欺瞞を払拭せよ。 あやまられた歴史は書き換えなければならない。
(昭和27年11月5日、広島高等裁判所での講演)

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イギリス歴史学者 H・G・ウェルズ氏
この大戦は植民地主義に終止符を打ち、白人と有色人種との平等をもたらし、世界連邦の礎石をおいた。」

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米国ハワイ日本経済事務局長 ジョージ・S・カナヘレ氏
「日本占領軍がインドネシア民族主義のために行った種々の仕事の中で、最も重要なものの一つは、正規軍及び准軍事組織を創設して、それに訓練を与えた事である。(中略) インドネシア人が軍事訓練を受けたことの意義は極めて重要なものであった。
これが後のインドネシア革命軍の大部分の将校と何千の兵士となり、復帰してきたオランダ勢力と独立戦争を戦う際の基盤となった。日本によって与えられた、このような機会がなかったならば、戦後のインドネシア民族革命の経過は違ったものになっていたであろう。」

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孫文
日露戦争の後、日本はロシアを朝鮮、南満州から追い出してしまい、かくしてロシアの世界侵略政策をくつがえし、東亜の領域を保全し、世界に大きな変化を生み出したのであります。
(1924年 広州での講演)

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昭和天皇のお言葉
「この(大東亜戦争の)原因を尋ねれば、遠く第一次世界大戦後の平和条約の内容に伏在している。日本の主張した人種平等案は列国の容認する処とならず、黄白の差別感は依然残存し加州(カリフォルニア)移民拒否の如きは日本国民を憤慨させるに十分なものである。又青島還付を強いられたこと亦然りである。 かかる国民的憤慨を背景として一度、軍が立ち上がった時に、之を抑へることは容易な業ではない」

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インド元首相 ネール氏
「(日露戦争について)アジアの一国である日本の勝利は、アジアの総ての国々に大きな影響を与えた。ヨーロッパの一大強国が破れたとすれば、アジアは昔たびたびそうであったように、今でもヨーロッパを打ち破ることができるはずだ。ナショナリズムは急速に東方諸国に広がり『アジア人のアジア』の叫びが起きた。日本の勝利は、アジアにとって偉大な救いであった。
「もし日本が最も強大なヨーロッパの一国に対してよく勝利を博したとするならば、どうしてそれをインドがなしえないといえるだろうか?」
「私の子供の頃に日露戦争というものがあった。その頃のロシアは世界一の陸軍国だった。世界中は、ちっぽけな日本なんかひとたまりもなく叩き潰されると思っていた。アジア人は西洋人にはとてもかまわないと思っていたからだ。ところが戦争をしてみると、その日本が勝ったのだ。私は、自分達だって決意と努力しだいではやれない筈がないと思うようになった。そのことが今日に至るまで私の一生をインド独立に捧げることになったのだ。私にそういう決意をさせたのは日本なのだ。」 

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ニューヨーク・タイムス紙(1905年6月1日)
日本の勝利は文明の凱旋であり、迷信に惑溺し、宗教により人を虐げる金城鉄壁を破壊した。人類の自由進歩の最大障害物を崩壊し取り除いた。…ロシアの敗北を世界が喜ぶのは、世界がロシアの目的と政略を憎み、平和を欲しているからである。(中略)日本人には武勇を賞賛し、策略の巧妙なのに驚嘆し、万歳を唱えるものである」

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クリスト・ファーソン
日本は敗北したとはいえ、アジアにおける西欧帝国の終焉を広めた。帝国主義の衰退が容赦なく早められていったことは、当時は西洋人にとって苦痛に満ちた衝動的なものだったが、結局はヨーロッパ各国にとって利益だと考えられるようになった」

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ビルマ元首相 バ・モウ氏
「約50年前ビルマは3回にわたる対英戦争の結果、その独立を失えり、英国側はアジアに対する掠奪的野望を以て此等の戦争を遂行せり。
愛国者は挺身的精神をもって鎮圧、入獄、流謫、拷問及びしばしば死そのものを
甘受して突進して来れり、これらの英雄はビルマの生存のため苦難を受け遂には斃れたり。ビルマ人はアジアを結合せしめアジアを救う指導者を待望しつつありしが遂にこれを大日本帝国に発見せり。ビルマ人はこのビルマに対する最大の貢献に対する日本への感謝を永久に記録せんことを希望するものなり(独立宣言より)

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インドネシア共和国元首相 モハマッド・ナチール氏
「大東亜戦争というものは、本来なら私たちインドネシア人が、独立のために戦うべき戦争だったと思います。もしあの時私たちに軍事力があったなら、私たちが植民地主義者と戦ったでしょう。大東亜戦争はそういう戦いだったんです。」

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永野修身元帥 (帝國海軍軍令部長)

(御前会議にて)
政府側陳述によれば、アメリカの主張に屈服すれば亡国必至であるとのことであったが、戦うもまた亡国であるかも知れない。
すなわち戦わざれば亡国必至、戦うもまた亡国を免れぬとすれば、戦わずして亡国にゆだねるは身も心も民族永遠の亡国であるが、戦って護国の精神に徹するならば、たとい戦い勝たずとも祖国護持の精神がのこり、われらの子孫はかならず再起三起するであろう。
統帥部としてはもとより先刻申したとおり、あくまで外交交渉によって目的貫遂を望むものであるが、もし不幸にして開戦と決し大命が発せられるようなことになるならば、勇躍戦いに赴き最後の一兵まで戦う覚悟である。

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イギリス 歴史学者 アーノルド・J・トインビー氏
「日本は第二次世界大戦において、自国でなく大東亜共栄圏の他の国々に思わぬ恩恵をもたらした。それまで200年の長きにわたってアジア・アフリカを統治してきた西洋人は、無敵で神のような存在と信じられてきたが、実際はそうではないことを日本人は全人類の面前で証明してしまったのである。それはまさに歴史的業績であった
英国最新最良の戦艦2隻が日本空軍によって撃沈されたことは、特別にセンセーションを巻き起こす出来事であった。それはまた永続的な重要性を持つ出来事でもあった。なぜなら1840年のアヘン戦争以来、東アジアにおける英国の力は、この地域における西洋全体の支配を象徴していたからである。
1941年、日本はすべての非西洋国民に対し、西洋は無敵ではないことを決定的に示した。この啓示がアジア人の志気に及ぼした恒久的な影響は、1967年のベトナムに明らかである。

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ローマ教皇庁駐日臨時代表 ブルーノ・ビッテル神父
いかなる国も、その国のために殉じた兵士に対して敬意を表す権利と義務があり、それは戦勝国・敗戦国を問わず、平等の真理である。もしアメリカ陸軍が靖国神社を焼却したならば、アメリカ陸軍の歴史に、永久に消すことのできない汚点を刻むことになるだろう。
フォト

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タイ国元首相 ククリックド・プラモード氏 
日本のおかげでアジアの諸国はすべて独立した。
日本というお母さんは難産して母体をそこなったが、産まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジアの諸国民が米英と対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるのか。 それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。
十二月八日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して重大決意をされた日である。我々はこの日を忘れてはならない。 」
(12月8日、現地の新聞「サイアム・ラット紙」)




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