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2020年07月06日16:53

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恐怖心

■「コロナで死なない」は人生の目的ではない 和田秀樹さんが語る「新しい生活様式」への違和感
(AERA dot. - 07月05日 17:00)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=173&from=diary&id=6145980

「Social Distance」「Stay Home」「With-corona」このところ様々な新しい言葉で多く出るのですが、すべて「横文字(こう書くこと自体、昭和人間ですね)」ばかりです。
なぜ、本当に危険な高齢者にもわかりやすい日本語にして伝えようとしないのでしょう。
そこには、抽象的にすることでイメージ化し、それで恐怖を煽るという戦略的な意図を感じます。
リスクの度合いに関係なく、社会全体に一律で適応するのではなく、個々の状況に応じて適用するという考え方です。
リスクマネジメントの考え方では、実際の状況を詳細に分析し、危険の度合いを数値化して対応してきました。
それによって、過剰、過少な対応を避けて、必要なところに対策が集中出来るようにします。
例えば、国を守る場合、国境線すべてに均等に防御部隊を配置する兵力を保持するのは困難です。
また、限られた兵力を均等配置すれば全てが手薄になってしまいます。
情報収集によって攻められやすい場所、攻められにくい場所をしっかりと把握し、集中して防御部隊を配置することで侵攻を阻止することが出来ます。
今回のコロナ対策もあまりにも広大な「面」に対して厳しすぎる対策を強いたことから様々な弊害が発生しているのです。
もうひとつよく使われる横文字で「エビデンス」があります。
「証拠・根拠」という意味で使われています。
本来は、新型コロナウイルス感染症対策においてもそれを実施するためには「エビデンス」が必要だったはずです。
それは、毎日発表される都道府県別の全体的な陽性判定者数だけではなく、圏域内のどこで、どのような人がどういう症状で発生しているのか、というデータに基づいて対応を変えて行く必要があるのです。
しかし、「コロナ恐し」キャンペーンから住民の恐怖心を煽るだけ煽ってしまっているため、感情が先になって冷静な判断が出来なくなっています。
このキャンペーンによって、家を一歩出れば空気中にウィルスが充満していて一息でも吸えばたちまち感染してバタバタと死んで行くと思ってしまっている人は意外と多いのだと思います。
そうした死の恐怖に怖れる人たちにとってピンポイント的な対策に「手ぬるい」という批判をすることになります。
民意の批判を嫌がる行政、特に首長や政府首脳は、「点」ではなく「面」での対応を行ってしまったのです。
しかも、第一波では必要以上に過剰な支援策を行ってしまったことから今後はそれをベースにすると国民に思わせてしまいました。
当然、今後は第一波をベースにしてより手厚い支援が行われると期待してしまっています。
しかし、大盤振る舞いですでに国庫も自治体の金庫も空っぽになってしまったので、仮に第二波が来たとしても、現実問題として第一波並の支援すら困難になっているのです。
「エビデンスに基づいたリスクマネジメント」をしっかりと実践していればあそこまでの経済活動の抑制の必要もなかったでしょうし、ある程度経済活動が動いていればあれだけ莫大な経済支援の必要もなかったのではないかと思われるのです。
結局は「恐怖の幻想」に追い立てられたことによる「過剰予防」が生み出した「狂騒曲」だったと感じるのです。

コロナ禍が去り、みんなが冷静に判断出来る状況が戻れば、第三者視点で冷静にこの騒動をしっかりと分析する必要があると思います。
使う必要が無かった大金を浪費し、潰れる必要がなかった多くの会社を潰してしまったことを。

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