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2019年10月17日15:23

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尊厳とは

■『ぼけますから』映画公開から1年間に起きたこと 施設か自宅か……カメラ回し続ける娘に迫られた決断
(ウィズニュース - 10月17日 07:00)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=220&from=diary&id=5828915

首相官邸に「人生100年時代構想会議」があります。
議長は内閣総理大臣で文科省、厚労省、財務省、内閣官房などの閣僚、学会、経済界、マスコミ等の有識者をもって構成される会議です。
設置趣旨は「人生100年時代を見据えた経済・社会システムを実現するための政策のグランドデザインに係る検討を行う」とされています。
老熟して行く日本社会の経済的な維持、成長について検討する会議体です。
すでに日本女性の平均寿命は80歳代後半に突入しており、2040年代にも90歳を超えるだろうと予測されています。
男性も80歳代に達し、同じく2040年代には80歳代半ばに達するとされています。
平均寿命は新生児を含む若年世代と合算したものですから、高齢者の死亡時年齢はさらに高くなり、100歳以上人口が増加して行くとみられています。
100歳以上を含む後期高齢者人口が総人口に一定の割合を占める時代の日本社会の在り方について真剣な議論が必要になっているのです。

「人生100年時代」を政策に掲げることは「めでたいこと」という感じを受けますが、日本政府は国民が100年生きることを支えようという気持ちは見られません。
極論すれば、自己責任で100歳まで生きてくれたら「おめでとうを言う」というレベルのものでしかありません。
それよりも、高齢者が人口の4割を占める時代になっても日本の経済成長は維持出来るのか、さらに成長させることは出来るのか、といったことが議論の主題になっています。
一方で、老いを支えて行く医療、介護では財政支出を抑制しようとする動きはさらに厳しいものになっています。
介護保険では、利用したサービス費用の1割を本人負担とするシステムが原則となっていますが、所得に応じて2割負担、3割負担が創設されました。
この1割負担を2割負担をベースにするという変更が議論されています。
早ければ再来年度の介護保険法改正に盛り込まれる可能性もあります。
また、ここに留まらずベースを医療保険と同等の3割負担にするプランも検討されています。
その医療保険でも3割負担を見直す議論が続いています。
将来的(2040年、2050年頃)には医療、介護共に5割以上の負担を求められることも予測されています。
そんな時代では、医療、介護が必要になってもその利用は厳しく制限され、劣悪な住環境の中で「生かされ」続けるという老後が想像されるのです。
2050年に65歳を迎えるのは現在の34歳であり、それより若い世代がそうした環境下におかれるようになるかもしれないということです。
そんな時代で「100年生きる」ことが「寿」と言えるのでしょうか。
若年世代には重い金銭的負担を強い、高齢者には身体的、精神的に厳しい抑制を強いる時代は、国による「虐待」とも呼んでいいのかもしれません。
「公的虐待状況に置いてでも長生きさせる」という政策は見直すべき時なのかもしれません。
「長寿」はその人に「長生きして欲しい」と願う人たち(家族や友人知人)がいることが前提です。
少子化社会、未婚化社会が進む中で、老後晩年は周囲に親族も友人知人もいない孤立化した人たちが増加してきます。
寝たきり、引きこもり(ADLの低下)の状況になって行くと本人自身が社会での存在意義を見失って行きます。
そんな時代「自分の人生の幕を降ろす時期は自分で決める」ということも「人権」と言っていいのかもしれません。
国からも国民(若年の)からも疎まれ「なぜ高齢者のためにこんな重い負担に耐えなければならないのか!」と言われ続けるのなら尊厳ある死を選んでもいいのではないでしょうか。
無差別に自死されては社会が混乱してしまいます。
そこは国のために尽くしてくれたことを感謝し、その尊厳ある死を責任を持って国が看取るという制度であるべきだと思います。
誤解してもらっては困るのは、一律の年齢で国が命を奪うという制度ではないということです。
65歳を迎えた人たちに自らの寿命をどこまでにするか選ぶ自由を与えるということなのです。
もちろんその中には天寿を全うするという選択肢も含まれますし、幕引きの年齢を何度も変更出来る自由も含まれるのです。

最近は「エンディングノート」「人生会議」「ACP」など「死をみつめる」ということが一般的に言われるようになってきました。
元々日本人は死を忌避し、語ることさえタブーだという死生観をもった国民でした。
それも昨今の少子高齢化社会の中で見直されようとしています。
より良い「死」を考えることはより良い「生」を考えることでもあります。
そうした中からただ生き続けることだけが人生ではないという考え方も出て来ても良いのかなと私自身は思っています。
「今」ではなく「未来」には「尊厳死」の考え方が必ず必要になるだろうと思っています。
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