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2020年05月27日18:52

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【ブックレビュー】コロナの時代の僕ら

コロナの時代の僕ら
パオロ・ジョルダーノ著
飯田亮介訳
早川書房

 先進国の中でも、アメリカ・イギリスと並んで被害の大きいのがイタリアです。5月下旬で3万人以上の方が亡くなっていて、統計手法次第では大きく加算されるとの報道もあります。本書は、ローマ在住の若きベストセラー作家で物理学博士の著者が、2月29日から始める、自身と周囲の人びとの様子を交えながら、感染症とは何か、数学とは、科学とは何か、差別、運命、といった事柄について記した短いエッセイ集です。

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 でも、感染症の流行に際しては、何を希望することが許され、何は許されないかを把握すべきだ。なぜなら、最善を望むことが必ずしも正しい希望の持ち方とは限らないからだ。不可能なこと、または実現性の低い未来を待ち望めば、ひとは度重なる失望を味わう羽目になる。希望的観測が問題なのは、この種の危機の場合、それがまやかしであるためというより、僕らをまっすぐ不安へと導いてしまうためなのだ。
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 私は普段は民放地上波テレビをほとんど観ないのですが、今回はネットでの批判があまりにも大きいので、少しだけ観てみました。びっくりするくらい程度の低い、害悪としか思えない内容ばかりでイヤになってしまいました。理由はいくつもあるのでしょうけれど、ともかく政府に常に100点満点を求め、少しでも失策があると鬼の首を獲ったかのような大騒ぎで情けなくなりました。日本だけでなくどの国も、可能な手をいくつも打って、その積み重ねや軌道修正で少しでも事態を改善しようと努力しているので、ふたつやみっつのハズレは当然です。


 「科学的」という言葉を耳にする機会も多かったですね。

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 今回の流行で僕たちは科学に失望した。確かな答えがほしかったのに、雑多な意見しか見つからなかったからだ。ただ僕らは忘れているが、実は科学とは昔からそういうものだ。いやむしろ、科学とはそれ以外のかたちではありえないもので、疑問は科学にとって真理にまして聖なるものなのだ。今の僕たちはそうしたことには関心が持てない。専門家同士が口角泡を飛ばす姿を、僕らは両親の喧嘩を眺める子どもたちのように下から仰ぎ見る。それから自分たちも喧嘩を始める。
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 この部分を読んであれ?と思ったのは、日本では専門家同士が口角泡を飛ばして議論する姿を見る機会がないのでは、という事です。テレビで複数の専門家がコメントを出しても、それぞれが司会者や視聴者に説明をするだけで、議論は起きません。また、政府は政府の専門家会議を、野党やマスメディアはお抱えの専門家(笑)を、という感じで両者が議論したのでしょうか。イタリアでは議論をしているようですね。
 科学とは何かという点でも、感染拡大初期に山中伸弥先生が「初めての事なのでエビデンスはない!」と言い切っていたのに、特に野党議員は「科学的な○○はあるのか」を繰り返していました。科学論の入門書を一冊でも読めばそんなセリフが出るはずありません。

 日本版だけ特別に著者あとがきとして掲載された「コロナウイルスが過ぎたあとも、僕が忘れたくないこと」は、訳者が「宝石のような文章」と言う通りの美しさの中に、私達自身が著者と共に深く反省する事を求めています。このまま収束させるためにも、あるいは第二波に備えるためにも、緊急事態宣言の解除に浮かれずに心に刻みたいと思います。

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