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2020年01月26日22:25

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いざ、大坂

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徳川家康の強引な手法で、遂に東西は手切れとなる。いよいよ襲い掛かる幕府方に対して、大坂方は豊臣家恩顧の大名を中心に味方を要請するが大御所・家康怖さに皆黙殺してしまう。

豊臣からの要請は、紀州九度山の真田幸村の元へも来る。たとえ大坂方に味方しても勝ち目はあるまい。わかってはいたが、幸村は豊臣家に加勢することを決意する。

幸村を見張っていた浅野家の警戒が緩んでいた隙を突いて、幸村たちは九度山を脱出。一路、大坂を目指す。

一方家康のほうは、巨大な大坂城に立て籠もる豊臣家をどうやって滅ぼすか思案を重ねながら上洛を果たす。

京から奈良へ行く途上、草の者・お江が指揮する襲撃隊に襲われ家康の命運が間一髪で奪われる事態が起こる。

結局家康の首を取ることはできなかったが、幸村は徳川方の肝を冷やしめただけでも上出来と以後は暗殺ではなく、正々堂々と戦で勝負をつけると明言する。

時は前後して、上州沼田からは幸村の兄・伊豆守信之の側近くで仕えていた向井佐平次が幸村を慕って大坂入りを果たす。

幸村と佐平次。かつて強い絆で結ばれていた主従は、何も語ることはなかった。だが語らずとも、二人は大坂城を枕に討ち死にすることを胸に秘めていた。

そして遂に大坂冬の陣が始まる。当初は大御所・家康が率いる東軍が優勢に戦いを進めていた。

が、加賀百万石の前田家・徳川譜代の井伊家が幸村の出城すなわち真田丸を襲撃したことで一変する。

亡き父・昌幸譲りの軍略で、東軍を散々に打ちのめしたことで真田左衛門佐幸村の武名は一気に注目される。

豊臣家もこの一件で強気になり、和睦を有利に進めようと目論む。だが、家康のほうが一枚も二枚も上手だった。

秀頼というより、事実上大坂城の主である淀君を精神的に屈服させることで講和へ持ち込む。幸村たちの命運が、いよいよ死へ向けてカウントされていく。



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