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2019年12月16日13:25

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誰が故郷を思わざる…か?

飲み屋などで、福岡出身と伝えると大抵「福岡っていい所ですよね!!」という反応が返ってくるのだが、その度に複雑な気持ちになりながらも「そうですね」と答えることになる。

一般的に福岡市民とその周辺の人々は郷土愛と地元志向が強い。福岡から殆ど出たことがなく、中学の同級生同士の結婚もわりに多い方ではないだろうか?

今を遡ること20年前『笑っていいとも』の「テレホン・ショッキング・コーナー』にモッズの森山達也が出演したさい、福岡では地元の人間関係を蔑ろにするのはNGだという話になったのを目にしたことがあるが、そのときのことを思い出すたび、「ああ、俺なんかまさに地元の人間関係を蔑ろにしてきた許しがたい存在なんだろうな…」という気になる。

福岡を離れて早30年以上。元々少なかった地元の友人関係も、FBを通じて繋がっている人がかろうじて数名いる程度で、直接的な交流はほぼ皆無。思わぬところで地元の知り合いと再会した、地元の人と繋がったという話がわりにあるけれど、僕の場合そういうこともない。時々、比較的近所に住んでいたという人と出くわすこともあるけれど、それが新たな人間関係に発展することはない。年を経るごとに地元との関係性は薄くなる一方。このまま一生地元に帰らなくても後悔しないのでは?とさえ思えてくる。

どうしてこんなことになったのか?大学入学を契機に京都に来てからしばらくは、僕も人並みに郷土愛、地元への思い入れがあった。たまに地元に帰るのもそれなりに楽しみであった。それがいつのまにか、地元に帰るたびに「ここは自分が帰るべき場所ではない」ということを確認するために帰省しているのでは?という気さえするようになったのである。

郷土愛が皆無に至る要因は至る要因は色々と考えられるが、最近折に触れ、強く感じるのは、福岡(ここでいう福岡というのは、改めて強調するが福岡市内及びその周辺…というか、僕が実際に体験した範囲内でのこと。北九州あたりになるとまた事情が違ってくるはず)という土地は人文学系学問や純文学に対する敬意が薄い土地柄なのではないか?ということ。

実際、福岡県内で哲学科があるのは、おそらく九州大学のみ(因みに九州全体でも唯一のはずである)。文学部を設けている大学も少ない。また、僕の大学の文学部でも福岡出身の人の割合はかなり少なかった。

また、人文学系の教養人への受容のあり方をみても、檀一雄はその晩年を能古島で過ごしたが、ブンガク記念館の一つでも建ててもよさそうなのに、実際は記念碑のみ。梅崎春生や島尾敏雄、後藤明生などの福岡出身あるいは福岡にゆかりのある文学者、あるいは廣松渉などの哲学者が地元で語られることはあまりなく、冷淡であるとさえ言える。それだけ地元にゆかりのある教養人を蔑ろにするということは、ある意味福岡の人の民度が低いのでは?という気にさえなってしまう…

そういえば、福岡に土地柄が似ていると言われる大阪には適塾のような私的教育機関があり、また幾多の文学者を生み出し、その人達に対する敬意もそれなりにあると思うのだけれど、福岡にはそのような風潮に比べられるものがない。この点から見ても、福岡という土地の文化的厚みの欠落がうかがえる。

こんなふうに地元の悪口を書いていると、ますます地元と疎遠になっていく気がする。だからといって、福岡が心底ろくでもない土地だと思っているわけではもちろんない。食べ物は安いし、美味しいし、それなりに住みよい場所だと思う。ただ、自分には合わなかっただけで。その「合わなさ」は一体何なのか?を今一度確認するためにあえてこのような文章を書くに至ったというわけである。



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