西城秀樹、まだ若いのにびっくり。
右半身まひの後遺症を抱えながらもコンサートを開き座って歌っていてたとか。
まだまだ歌いたかったでしょう。
ご冥福をお祈り致します。
新御三家の中で、ヒデキが男の子に一番人気だったと思う。
だってダントツに格好良かった。
その中でも思い出深い曲は「薔薇の鎖」。
マイクスタンドを振り回して歌うのは洋楽をあまり知らない子供にとって衝撃だったのよね。
薔薇の鎖 / 西城秀樹
正直、西城秀樹と言えば「ヤングマン」や「情熱の嵐」「激しい恋」が有名で、
「薔薇の鎖」を思い出す人は少ないかもしれない。
■ローラ絶唱の夢かなわず 西城秀樹さん、充電期間の死去
(朝日新聞デジタル - 05月17日 23:53)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5115476
16日に63歳で亡くなった西城秀樹さんの通夜は25日午後6時、葬儀は26日午前11時、いずれも東京都港区南青山2の33の20の青山葬儀所で営まれる。
2度の脳梗塞(こうそく)で右半身まひの後遺症を抱えた西城さん。「病気のおかげで、僕は歌うことの喜びを知った。これからもずっと、歌い続けていきたい」。2006年の朝日新聞のインタビューで答えていたが、その言葉通り、歌への情熱が枯渇することはなかった。
昨年10月に東京都内で開いた単独コンサート。曲間のトークはたどたどしく、派手なステージアクションはもちろんない。体への負担を避けるためか、いすに座って歌う場面もあった。
それでも、ひとたびバックの伴奏が始まれば一変。「ヤングマン」「激しい恋」など往年の名曲から、還暦を迎えた15年に発表した新曲「蜃気楼(しんきろう)」まで、激しいサウンドをバックに熱唱した。リハビリ中とは思えぬ生気みなぎる歌声。2千人の観客を熱狂の渦に巻き込む力があった。
「デビュー50周年に向けて頑張る。体を鍛え直さないといけない」。22年に訪れる節目に向け、西城さんは周囲に意気込みを語っていた。マネジャー、プロデューサーとして35年にわたって活動を支え続けた片方秀幸さん(57)によると、今年は充電期間に位置づけ、スポーツジムに通うなど、精力的にリハビリに励んでいたという。
代表曲の一つ「傷だらけのローラ」。全身を使って振り絞るように歌う楽曲だが、ここ数年は封印していた。「アクションあっての曲。いつかステージで披露する日を夢見ていました」と片方さん。
その夢がかなわぬまま、旅立った。(河村能宏)
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