作家にしても編集者にしても冒険好きでなければならないのは言うまでもない。いつも同じレストランでしか食事をしない。旅行は、いつも同じところに行く。趣味はひとつのことにこだわり、あまり他のものには手を出さない。そうした人は作家にも編集者にも向
時間が守れない人は編集者にはなれない。パソコンが使えない人はプログラマーにはなれない。車の運転が出来ない人はレーサーにはなれない。計算が苦手な人は会計士にはなれない。 編集者というものは時間を守らせることを仕事にしている人のことなのだ。何
他人のものを教えようとする人を編集者は軽蔑している。もし、編集者でありながら、自分の知識を他人に教えている人がいたら疑ったほうがいい。本当にその人から学ぶことなどあるものだろうか、と。 編集者は教えない。どうして教えないのか。教えてしまえ
断言しよう。編集者はバカである。筆者も編集者の端くれの隅の沁みのような仕事を長くしていたので、しばしば、頭が良いんですね、と、そう言われた。そう言われる度に、ニコリを笑って否定しなかったが、否定しないほうが得だからであって認めていたわけで
編集者にとって、もっとも大切な仕事は、作家に書きたい、と、そう思わせることなのだ。そのための手段については不問にしたい。もし、お金持ちの編集者なら、札束で作家の頬を打ちながら書かせてもいい。もし、編集者が美人なら、身体を餌にして作家に書か
編集者なしに小説が書けると思っている人の書くものは絶対に面白くない。これだけは断言出来る。そして、そうした人の話も面白くない。さらに言うなら、その人と付き合っても面白くない。理由はかんたんである。その人は常に独りよがりだからなのだ。書くも
奥田 女体盛りというのがありますよね。あれの一部だと思うんですけどね。テーブルの上に乗せた全裸の女の身体に、まだ、熱いチョコレートをかけるんですよ。どれぐらい熱いかは、私には分かりませんでしたが、少なくとも女はギャー、ギャーと喚いていました
執事 たとえば、こんな話がありました。Sの男の人でね。その人は初老の紳士という雰囲気の人だったんですけどね。ネットを利用してお金で女の子を買うんだそうです。買うというのは、もう、本気で買うということで、いわゆるネット風俗とは別次元の話だった
奥田 執事さんの話に対抗するわけじゃないんですけどね。例えば、私、SМクラブのパーティでね。女王様のみ全裸というのに出たことがあるんですよ。おかしな話でしょ。奴隷の男と女が服を着ていて、女王様たちが全員全裸なんですよ。女王様が三人。奴隷は全
執事 これは体験ではなく映像として見せられたものなんですけどね。詩の朗読会の映像を、あるSМクラブのママに見せられたことがあるんですよ。そのママは日本だけでなく、ヨーロッパのどこかの国にもSМクラブを持っていてね。たまに日本と向こうのМ女や
奥田 この対談って、前半はどうでもよくて、それに飽きて読み手が減る後半に言い難い話が出ますよね。私が風俗取材を盛んに行っていたのは、もう、三十年ぐらい前になりますかね。その頃の風俗店には、まあ、たいてい秘密の会というのがありました。たいてい
執事 私が鹿鳴館サロンをはじめて、もっともがっかりしたのが、サロンに女性を求めて来る人が少なくなかったことですね。中には「このサロンで女性なんか見たことないですよ」って文句を言う人とか、あるいは「今日は女性は来ないんですかねえ」なんて言う人
奥田 うーん。嫌がらせのような質問ですね。行為でも人でもなくて、ただ、建物の雰囲気に興奮させらたって言うわけでしょ。そんなもの、と、そう思いますが、実は、どれを選んだらいいか分からないほど沢山あるんですよ。京都にあった廃屋のSМクラブ。藤沢
執事 SМの原点というのは告白だと私は考えているんですよ。SМは緊縛なんかじゃないんです。鞭でも、その他のプレイでもないんですよ。小説でもないんです。告白がSМなんですよ。覗き見るでもないんです。ましてやショーとか、パーティとか、そういうの
執事 SМ小説の本来のあり方って、どうだったのでしょうか。昔のSМ小説には文学がったという言い方があって、私、そこに疑問があるんですけど。奥田 文学の要素があったというのは本当だと思います。そうしなければ、SМは発禁、つまり発売が禁止になる
奥田 大阪の文化って、何だか明るいじゃないですか。それとSМって合わないように思っていたんですよ。明るい文化が嫌とかそういうのじゃなくてね。ただ、SМには合わないかなってね。執事 私もそう思っていました。ところが、実際、私が大阪の人とプレイ
執事 では、奥田さんにとってのSМとお酒と闇と奥田 おそらく執事さんもそうだったと思うのですが、私たちの子供時代って、お酒に良い印象ってないと思うんですよ。時代も土地も最悪でしたからねえ。お酒と言えば、大人がだらしなくなって、怒鳴ったり、ケ
奥田 どうでしょうねえ。こうして対談をしていても、闇は見えて来ないと思うんですよ。執事 そりゃ、闇なんですから見えないですよね。奥田 そうやって、すぐに執事さんが言葉尻をとらえて知ったふうに言うでしょ。人の言葉の尻だけとらえるのって楽なんで
奥田 私はある人に対して本当に申し訳けなく思っているのです。その人の夢でもあったところの文学的なSМの雑誌を作らないまま壊してしまったのですから。でもね。先にも書きましたがエロ本屋は基本的に貧しいんですよ。お金になっても残らないんです。貧し
奥田 かなりまじめな話ですね。ただ、今回の対談の中で、いくつかキーワードはあったと思うんですよ。たとえば、SМは不器用とか、SМは痩せ我慢とか、モテないとかね。執事 どういうことでしょうか。奥田 つまりね。私にとってのSМというのは、かんた
奥田 SМがショービジネスに取り込まれると、そこにあるのは実践のみになるわけですよね。写真とか映像もそうです。たとえば映画は心情も表現出来るわけですが、いくらなんでもSМ映像でそれは無理なわけですよ。執事 実際、メジャーがそれを映画にします
奥田 さて、そろそろ、まじめな話もしましょうか。たとえば、SМって、いつから公然の場に出たんでしょうね。インターネットって言う人もありますが、私はその考えには少しばかり違和感があるんですよ。執事 本当に、本題に入りそうで安心しました。インタ
奥田 SМって痩せ我慢の魅力だったように思うんですよ。本当はテニスサークルとかギター抱えてバンドとか、ディスコで踊ったりとかね、そんなことしたかったわけですよ。でも、スポーツが苦手、音楽もダメ、踊りどころかカラオケも満足に歌えないわけですよ