拘束台の上で女が縛られている。私の隣には半裸に近い服装の絶世の美人が鞭を持って立っている。三メートルはありそうな一本鞭だ。「さあ、これで、この女を思う存分に打ってください」「そ、そんなこと。そんなことしたら、きっと、痛いですよ。こんな長い
『間違った扉』 他人の家に無断で入って、他人の家のドアを無断で開けるなど、もちろん、はじめてのことだった。いくらそれが私の読んだ奇妙な小説の家とそっくりの家だったとしても、普段の私なら絶対にしないところの行為だった。 それを開ける瞬間の私は
書くこともないので、子供のことについて書いてみようかと思う。筆者は子供が嫌いなのだ。しばしば、子供に勉強を教えるなどして来たので、子供好きと思われたりする。不思議なことに、乳幼児を持つ母親は筆者に無警戒だったりもする。彼女たちは本能的に筆
書くこともない。考えることもない。そもそも考えることと書くことは筆者にとっては同じことなので、書くことがなければ考えることもないし、考えなければ、書けないのは当然なのだ。 では、考えるとはどういうことだったろうか。たとえば、筆者は平和な光
書くこともないので、最近の日本人のマナーについて書いたのが昨日のこと。そして、それを書いた夜、これはありなのか、と、そうしたシーンを目撃した。深夜のファミレスなのだ。筆者はそこで、一時間以上もの間、小説などを書いている。一時間以上になるの
書くこともないので、マナーというものについて、少し書いてみようかと思う。どうして、貧乏な街の貧乏な家に生まれて、その貧乏な街でさえ、さらに貧乏な生活をして来た筆者がマナーなどという小洒落たことについて書く気になったのかと言うと、マナーのな
書くこともないので文章を書くことの出来るバカについて書いてみようかと思った。文章を書くことの出来るバカとはエロ本屋のことである。たいていのエロ本屋は文章が書けた。文章の書けないエロ本屋はただのエロ屋だったからなのだろう。 文章は書けるが、
書くこともないので、死について書いておこうかと思う。どうして、死などという重いテーマについて書こうかと思ったかと言うと、先日、ああ、これで死ぬんだな、と、思ったからだ。原因は風邪らしい。しかし、咳が激しく出血したのだ。咳を押さえた手に血が
書くこともないので、怒りについて少し書いてみようかと思う。そもそも、筆者は穏やかな優しい性格である。よく「仏の顔も三度まで」と、言うが、筆者は二度ぐらいは我慢出来るので、仏様より、やや劣るぐらいだということになのだから、かなり穏やかな方だ
書くこともないので、子供の頃の話でも書こうかと思う。子供の頃の話を書こうかと思いつつ、モバイルを開くと、そこにあるのが貧乏と孤独と妄想しかないことに気づいて、子供の頃の話など書きはじめたら、ただ、ただ、暗くなるのではないかと考えたら暗くな
書くこともないので、エッセイでも書くしかないかと思いつつ、モバイルを開いて昔に書いた様々なムダな文章を拾い読むと、そのあまりの量にウンザリとさせられ、なお、そのあまりの無意味さに驚かされたりもする。よくも、ここまで勝手気ままに書いたものだ
新宿はいつでも明るく賑やかだった。一番人の少ない朝方でさえ新宿は賑やかだった。そして、朝は夜に逃げ遅れた人と昼をまじめに生きようとする人がすれ違う、もっとも奇妙な時間だった。その中を酒に酔って歩くのが好きだった。 ただ、不安だった。昼にな
昔、何度となく訪れた店を探していると、ときどきだが、奇妙な感覚に襲われることがある。見つからないのは店ではなく、自分の過去なのではないかという感覚だ。 あの頃、筆者は新宿で暮らしていたと言っても、決して大げさでないほど新宿にいた。朝八時に
その女は髪を振り乱し、着ていたブラウスを自ら引きちぎって筆者に「書いてよ」と、叫んだ。彼女は横浜の元町出身だと言っていた。もちろん、嘘だった。元町のことなど何も知らなかった。 その夜、筆者はカーナビもないまま、横浜の元町近辺を走り周らされ
大きさは小さな野球グラウンドぐらいあるだろうか。高さは四階建てぐらいで、それを斜めに切ったような、横から見るとちょうど直角三角形の奇妙な建物だった。何かの批難施設だということだったが、その真相は分からない。 周囲は緑地公園と工場で、その辺
ホラー雑誌の取材中に行方不明になった女の子がいた。彼女のことはずっと気になっていた。ホラー雑誌だったので、あの頃は心霊現象のように言って笑ったりもしていた。原稿の締め切りに間に合わないという理由で行方が分からなくなる、友達に仕事を振ったの
都内とはいえ私鉄の駅から十五分。小さな町工場の集まった場所。その中の事務所というよりは倉庫のようなもののひとつが、その出版社だった。出版社の経営者は六十過ぎの男だったが、実際に会社を切り盛りしているのは、まだ、二十代の、けっこうな美人だっ
どんなことにも原点というものがある。筆者のエロビジネスの原点は、やっぱり池袋だった。池袋でマニア雑誌を作ったのがエロビジネスの原点なのだ。もう、四十年近く前のことになる。はっきりと記憶しているのはサンシャイン60が、まだ、建ったばかりで営
あの頃の編集作業というのは、まだ、パソコンを使ったものではなかった。ライトテーブルに乗せたポジフィルムをトリミングして指定紙に当たりを入れて行く。かろうじて原稿はワープロで打っていたが、タイトルやキャッチは手書きで紙に書いていた。それを写
高校の裏通りを歩くと、そこにスーパーがあったはずだった。しかし、スーパーはなくなっていた。その先には、どこかの社宅のようなものがあったはずだった。古い鉄筋の三階建ては、その頃でも都会では珍しい低さだった。 スーパーがあったらしい場所を確認
あのとき、筆者は貧しく、そして、酷く怯えていた。仕事上のトラブルと風俗店とのトラブルが重なり、仕事を失い、それどころか風俗業界で見かけたら殺すなどと脅されてもいたのだ。そうしたことは珍しいことではなかったが、トラブルが重なったのは、はじめ
幽霊が怖かった。まだ、幽霊は十分に怖い頃だったのだ。小学校の体育館の裏は大きな工場だった。体育館裏の植え込みには、いつの頃、誰がはじめたのか分からないが動物のお墓が作られていた。もちろん、金魚とか蛙のお墓だった。それでも、やはり、そこは子
駐車場付きの大型スーパーは、深夜の駐車が出来ないようなので、隣のファミリーレストランの駐車所に車を入れた。どちらの建物も筆者が子供の頃にはなかったものだ。 車を降りると同時に不安になった。筆者が探しているのは住宅街にあった袋小路だった。大
筆者は子供の頃から実にたくさんの引っ越しを経験している。その数は思い出せないが、幸いなことに、全ては東京か神奈川のいずれかになる。つまり、今、その地を訪れようとすれば、それは容易なことなのである。 もちろん、すでに、まったく新しい街になっ
編集者などやっていると、小説好きなのだと思われる。確かに編集者の多くは、たとえそれが新聞でも、科学雑誌とかギャンブル雑誌やゲーム雑誌でも、そして、エロ雑誌だったとしても、やはり小説好きな人が多いものだ。しかし、筆者は違う。筆者は小説好きと
ときどき、昔、縁のあった場所を訪れてみたくなることがある。子供の頃とか、若い頃とか、そうしたこととは、また、別の縁を探したくなるのだ。たとえば、財布を落として探した公園とか、はじめて取材したSMクラブのあったビルとか、あるいは、旅行先で見
設定条件「扉と招待状」より「扉」 私には泥棒癖のようなものはない。自分が性的に他の男よりも過剰なことは認めないでもないが、しかし、覗き趣味はない。断じてそれだけはない。 そんな私が他人の家に無断で入る、と、そんなことをするはずがない。
設定状況「扉と招待状」より「招待状」 古びた店だった。木造家屋二階建て、一階には店舗。おそらく二階が住居だ。一階の店舗には通りから見える窓がなく、小さな扉があり、扉には営業中の看板がぶら下がり、その前に「喫茶・古書店」と書いたプレートが立て