「綺麗な女しか撮りたくないの」 鍛えられた長身の首からニコンのカメラをぶら下げた美人が筆者に言った。当時のプロ用のカメラは大きく重い。それが軽そうなほど彼女の身体は鍛えられていた。やっているのは実戦的な空手。女でも実際に打ち合うというだけあ
色気のあるモデルだった。適度な肉付き、大き過ぎないが決して小さくもない胸。ツンと上を向いたお尻。その頃、すでに筆者は三十歳を超えていて、彼女は二十代前半だったはずなのに笑うと姉のように優しく見えた。姉のように優しいというのは、筆者には姉が
助手席から眺めるかぎり、まるで、フランス人形のような美人だったが、何しろその女は小さかった。身体が小さいためにキリリとした女王様顔なのに、彼女には女王様の仕事は少なくМ女としての仕事がほとんどだった。運転は巧い。ただ、少しばかりスピードを
迷惑な話だろうが、代々木公園と井之頭公園には本当にお世話になった。その二つの公園ではずいぶんと無茶な野外撮影をさせてもらった。特に井之頭公園の撮影は無許可で、こっそりと撮るのに適していた。都内しては意外なほど木が多く死角が多かったからなの
物騒な女だった。男と別れる度に、死ぬの、殺すの、殺されるのと電話をかけて来た。まだ、携帯電話さえなかった頃の話なのだ。一方的な電話で、それを切られたら、もう、通じない。分かっていた。どうせ、彼女は、アドレス帳の端から電話をしているのだ。そ
まだ、喫茶店のチェーン店といえばルノアールぐらいだった頃の話。 その頃は喫茶店の椅子と言えば華奢なものだった。たいていは背もたれと座面が直角で、いかにも、長居をさせるものかと言わんばかりだった。そんな窮屈な椅子に、その男はふんぞり返って座
シミひとつない真っ白なエプロン。その下には濃紺のシャツとブルーのジーンズ。お世辞にもお洒落とは言えない。真っ白なエプロンは普段は料理をしない証拠のように見えた。シンクが二つ連なるキッチンはその当時としては新しかった。そのシンクにも目立った
「あの時、確かに、君はそこにいたんだ」というタイトルの企画で、写真のようにSМの関係者たちの横顔を切り取るという企画はどうだろうか。場所は、SМクラブや撮影スタジオやエロ出版社やSМショーの舞台やラブホテルではなく、喫茶店、公園、レストラン
料理の話をしていて思い出したことがある。筆者の知っている有名なSというのは、たいていが料理好きだった。これを読んだ人は、ああ、そういえば、と、名前が上がった人がいることだろう。 思えば、料理とは残酷なものなのだ。何しろ、生き物を殺して食べ
食べることに興味のない人がエロだけ熱心に語る姿を見ていると滑稽に思えてしまう。食べることに興味がない、食べる物など何だって同じだ、回転寿司も銀座名店の寿司も寿司は寿司だ、と、そんなふうにしか思えない淋しい感性の人にはエロだって分からない。
バカのことを思い出していて、一人の男のことを思い出した。その男は東大を卒業した後にエロ出版社に入って来たのだ。彼の実力ならメジャー出版社のどこかには入れただろうに、わざわざエロ出版社に入って来たのだ。そして、そこで仕事とは無関係な性犯罪で
好きな本がある。それは『こいしいたべもの 』森下典子(文春文庫) だ。しかし、この本、それほど売れていない。もっと売れて、もっと話題になってもいいと思うのだが、残念なことだ。どこがいいのかと言えば、何の取柄もないところがいいのだ。別に奇抜な表
エロがいろいろなところから追い出され、ただでさえ孤独だったエロが、ますます孤立して行くことが、どうしようもなく寂しかった。世の中が健全になることを素直に喜べなかった。そんな気持ちで十二話も書いてしまった。そうした話は六話ぐらいがちょうどい
エロの文化が消えて行く。書籍から、雑誌から、小説から、エロは仲間はずれにされ、寂しく消えて行く。エロが華やかに中心で踊ることなど考えもしない。エロが堂々として他の文化の中で闊歩する姿など想像したくもない。筆者は街にポルノ映画館の過激な看板
筆者はこんなことを考えるのだ。エロに寛容でない人は、他のことにも寛容でないように思うのだ。人の世には良し悪しがあり、善悪があり、リスクのあるものなのだ。たいていの人の身体には少しの病があるものだし、精神的に健全ということもないだろう。肉体
秘密基地と、筆者たちはそんなふうに呼んでいた。公園の隅の神輿置き場の小屋の裏。工場の資材置き場の陰、その裏。マンションとマンションの間の隙間。大人の知らない子供しか入ることの出来ない場所があった。今から思えば危険な場所である。犯罪のことも
エロ雑誌を作っていた頃。筆者はしばしばクレームから逃げる編集者たちを見た。エロ雑誌というものは、どこの団体からもクレームがつけられるものなのだ。差別と闘うさまざまな団体。子供の親たち。学校関係者。クレームは時には法律を盾としてやって来た。
広大な資材置き場というものが、まだ、都会のそこここにあった頃の話だ。巨大な石を置く場所。ガラスの破片を置く場所。どの部分だか分からない巨大な鉄の枠を置く場所。工業都市の海側の街には、そうした場所がいくつもあり、そして、そうした場所のセキュ
筆者には昔から何の才能もなかった。顔がいいわけでもないし、運動が出来るわけでもないし、頭も悪かった上に、話をしても面白くなかった。ただ、たった一つだけ、他人に誇れる才能があった。それがエロだった。エロ話を作ることだけが得意だったのだ。 最
良いことを教える人はいくらでもいるし、良いことは誰にでも教えることが出来るのだろう。しかし、悪いことを教えるのは難しい。当たり前だが、悪いことをそそのかすのは簡単なのだ。問題は、悪いことを教えながら、それを理性で抑える方法を教えることのほ
エロは正しく健全なものだから、コンビニの棚に表紙にヌードのある雑誌を堂々と並べるべきなのだ、と、そんなバカなことを筆者は思っていない。商店街にポルノ映画の看板があるべきだとも思わない。性風俗店が駅前にあるべきだとも思わない。カバンから鞭を
エロ雑誌を作りはじめた頃。よく「こんな女いないだろう」と、言われた。いないと言うなら、エロ雑誌のどんな女もいないのではないだろうか。宅配業者が来るのに全裸で玄関に出て、ちょっとオナニーしてたから、と、そんな女がいるはずもない。そんな女より
少し潔癖症の気のあった筆者は拾ったエロ雑誌は部屋に持ち込めなかった。しかし、そんな筆者の強い味方が、古書店のおばさんだった。古書店のおばさんはエロ雑誌を子供に売ってくれた。筆者は当時、小学校六年生だったから、大人には見えなかったはずだ。そ