筆者は、何でもいい、と、そうした考え方が嫌いだ。何を観たい、何をしたい、何が食べたい、それがはっきりしないなら行動したくない、生きている目的がないなら、いっそ死にたい、と、そう考えている。人生は妥協だとも考えている。たとえば、毎日、美味しいご馳走が食べたい、しかし、そんなことは経済も時間も、また、カロリーも許してくれない。そこで、妥協する。しかし、妥協は妥協なのだ。いつかは、ご馳走にありつくための準備とていの妥協なのだ。
それは性についても同じなのだ。ラーメン食べて安いラブホテルでセックスするぐらいなら、セックスしないほうがいい。目的があり、それに対する準備があり、何のためにというのがはっきりしていなければセックスさえしたくない。獣ではなく、せっかく人間に生まれたのだから、それぐらいの贅沢はしていたいのだ。
しかし、性についての拘りは、これは人それぞれで驚かされることが多かった。
夜景を見下ろせるホテルでしかSМはしたくない、と、そう言っていたМ女がいた。セックスはどこでしてもいいのだそうだ。その違いが分からない。その拘りが分からない。しかし、その拘りは嫌いではない。
そこで、そんな少し変わった、あるいは、いささがずれた拘りについて書いて行くという企画はどうだろうか。
タイトルは、そのまま「そこですか」と、それではどうだろうか。
あるプロの女王様が仕事の時はボンデージなどを着てプレイをするのだが、プライベートで女王様をするときは、チュニックにエプロンに決まっているじゃない、と、言ったのに驚いたことがある。しかも、プライベートでプレイする相手は、それが男でも女でもいいが、剃毛済みでなければダメだと言うのである。
「そこですか」と、思わず言ってしまった。そんな話を詳しく書いて行くというのはどうだろうか。
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