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2020年01月28日00:51

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孤独お気楽優しく地獄、その10

 近所の空き地や資材置き場のような場所にエロ雑誌を子供同士で探しに行った幼い日。筆者は文字ばかりのマニア雑誌を探していた。しかし、それは他の子供には受け入れられなかった。写真のたくさんある雑誌を探せと皆に言われたのだ。エロ雑誌は皆で共有されるものだった。ゆえに、皆が共通して楽しめるものを探さないと仲間はずれとなるのだった。
 同じことがパソコン通信がはじまった頃にもあった。この頃には、もう、筆者は大人になっていた。パソコン通信でマニアックな会話が出来た。すでにエロ雑誌編集者だった筆者も出版社名を持って掲示板の一つを担当していた。最初、筆者は、喫茶店を模した掲示板を作った。自分の書く内容によって、喫茶店メニューの注文を分けるというシステムだった。単純だった。最初に、コーヒーと言って露出の話をはじめるとか、レモンスカッシュと言ってオシッコの話をはじめるという程度のものだった。しかし、それは掲示板利用者によって、すぐに廃止された。面倒だし、意味がないし、子供っぽいと言われた。
 そういえば、サイト鹿鳴館を最初に引き受けたとき、筆者は、せっかく鹿鳴館という名をサイトに付けたのなら、と、館までの道順とか、館の外観とか、部屋の見取り図まで作った。エンジニアと一部スタッフは喜んでくれたのだが、多くの人に反対された。余計なものは必要ないと言われたのだ。余計なことである。緊縛の掲示板とか、緊縛写真のページでいいのだ。蔦のある部屋とか、欠けた燭台の部屋という名は要らないのだ。
 サロンでの緊縛も同じだった。
 筆者は、物語りを作った上での緊縛にしか興味がなかった。男女交際の手段としての緊縛には興味を持てなかったのだ。絵を作りたかった。物語りを作りたかった。そして、儀式が作りたかったのだ。
 ただ、皆で集まって、ワイワイとエロ行為を繰り広げる。それはそれで楽しいのかもしれないし、エロという意味では、それだけでいいのかもしれないのだ。
 店の内装が気に入らないという理由で料理が美味しくても行かない店がある。どんなに不味い店でも、内装が素敵で夜景など見ながら食事が出来るなら、我慢して通ったりもしている。好きなものを食べるよりも、コース料理というシェフのストーリーに魅了される。焼き鳥屋のコースで口直しに出された水ナスに感動させられたりする。店の内装も、コースの順番も、料理が美味しいなら無関係なのだ。それは分かっている。分かっているが、しかし、そうしたムード作りは筆者にとっては大事なのだ。
 エロの写真よりも、それがどのような理由で作られたのかを示した文字のほうに魅了されて仲間はずれにされた、あの幼い頃から、おそらく、今も、まだ、仲間はずれなのだ。エロの世界にいてさえ、マニアの世界にいてさえ、筆者は一人だったし、今も、きっと、一人なのだ。
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