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2020年01月25日12:08

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孤独お気楽優しく地獄、その7

 銀玉鉄砲というのが流行していた。もう一度東京でオリンピックがあるなどと誰も想像していないような昔の話だ。
 筆者が暮らしていた街は大型の工場が出来て、その周辺に作られた新興住宅地だった。ゆえに、街の中には貧富の差があった。銀玉鉄砲どころか銀玉ライフルまで買ってもらえる子供もいれば、拾った木切れを鉄砲代わりにして、玉も出ないのに、口でバンバンと言っている子供もいた。木は鉄砲の代わりにならないと言われて、鉄砲のない子供はインディアンにされた。
 筆者は、インディアンが騎兵隊に勝つストーリーをシナリオ通りに演じる遊びを提案した。シナリオは細かく決められていた。
 ところが、そんな遊びは面倒だと鉄砲を持つ子供にも、鉄砲を持たない子供にも言われた。鉄砲を持たない子供である彼らはインディアンとして、銀玉で撃たれて逃げ回った。筆者にはそれが、いじめのように見えた。しかし、そうしていれば、たまに、気の良い鉄砲を持つ子供が銀玉鉄砲を貸してくれたから、鉄砲を持たない子供は、それを期待していたのだ。逃げ回って、玩具とはいえ、当たれば痛いその玉をよけて地面を這い回り、そのあげくに、少し鉄砲を貸してもらって、それを撃てれば、そのほうが楽しい、と、彼はそう言ったのだった。
 そんなことを筆者は、緊縛ショーのイベントの取材をしながら思い出していた。無意味な緊縛を会場の男たちが絶賛する。そうしていれば、自分にも女を貸してもらえるかもしれないからだった。拍手し、緊縛の技に感心している男たちが、銀玉鉄砲借りたさに地面を這い回っていた、あの子供たちの姿と同じに筆者には見えてしまった。悲しい、寂しい気持ちになった。
 緊縛の意味は問わない、ストーリーもない、芸術でもない、その様子は、騎兵隊とインディアンと役割りだけを分けて、後は、銀玉鉄砲で追い回し、痛い痛いと逃げ回るのを楽しんでいた子供の鉄砲ごっこと同じように思えた。鉄砲ごっこのストーリーなどどうでもいいのだ。鉄砲を撃つポーズもどうでもいいのだ。ただ、たくさんの鉄砲を持っていて、それをたまに貸せればその子供がヒーローとなった。
 ストーリーを作ろうと言う筆者の提案は拒絶された。緊縛の意味について考えたり、そこにストーリーを作ろうとした筆者のSМは面倒だとか理屈っぽいと嫌われた。
 緊縛ショーのイベント会場で、縛られた女を囲む男たちの中で、明るいライトの下に出たSМの中で、筆者は、やっぱり一人だった。
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