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2020年01月23日01:01

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孤独お気楽優しく地獄、その5

 もう四十年以上も前のことになる。マニア業界に筆者が入って来た、その頃には、マニアは皆、一人きりだった。一人きりが集団になっているという奇妙な状態にあった。非社交的で口下手で不器用で、大酒飲みのくせに飲みに行っても会話がない。スポーツもカラオケも苦手で、本ばかり読んでいた。
 そんなマニアの中では、一人であることが寂しくなかった。一人であることは当たり前のことだったからだ。
 それから十数年が経った頃。筆者はある出版社にいた。社員としてではなく、外のブレーンとして雇われていたのだ。もしかしたら、そこで筆者は嫌われていたのかもしれないが、社内行事には、いっさい誘われなかった。社員たちは、忘年会だとか、慰労会だと言っては飲みに行ったり、バーベキューをしたり、ボーリングに行ったり、社員旅行をしたりしていた。社員ではないのだから誘われないのは当たり前だったのかもしれない。しかし、寂しかった。誘われないことが寂しいのだと最初は思っていた。しかし、誘われてどうだったのだろうか。皆と飲みに行ったところで会話などない。カラオケでは唄う歌がない。ボーリングは好きだったが、一人でストイックに投げることしか知らなかった。皆でスコアを競って一喜一憂することなど出来そうになかった。そうしたことが出来ないから、筆者は一人でマニア雑誌を作っていたのだ。そして、そうしたことの出来ないような人間たちが、それぞれ一人でマニア雑誌を作っていたのだ。
 ところが、その出版社の人たちは、明るく社交的だった。いい作品よりも人の絆を大切にしていた。それは尊いことのように思えた。しかし、筆者はそこに交われなかったのだ。
 いい作品を書いたのが悪い人でも筆者にはよかった。昨日、飲み屋でケンカし筆者を池袋の路上で蹴った男が、今日は、筆者に取材協力を申し出る、その企画が面白ければ、そのことに感謝してしまう。蹴られた足を撫でながら、蹴った男の企画が形になるところを想像して嬉しくなる。
 会社などない。会社などないから仲間もいない。仲間もいないから特定の敵も出来ない。昨日の敵は今日の友で、今日の友は明日の敵でしかなかった。それでよかったのだ。それぞれが一人、思惑があって集う、それだけでよかったのだ。
 その出版社に対する貢献度が大きくなり、いよいよ、筆者も忘年会に誘われた。たった一度のことだった。居酒屋を貸し切っての忘年会。その頃には、知っている顔しかないのに、忘年会で飲む人たちは知らない人ばかりのように思えた。顔は知っているのに知らない人。筆者は、席上の隅で好きでもないビールを飲んでいた。大皿で出される料理に部外者が手をつけてはいけないような卑屈な気持ちとなり、オードブルとして個人個人に出された枝豆だけをつまみに、チビリチビリとビールを口にし、この後、一人で、ショットバーに行こう、と、そう思っていた。
 それにしても明るかった。お調子者がおどけ、その道化を囲んで騒ぐ人たち。
 マイナー出版社の飲み会は、飲めばケンカだった。作っているのは、世の中にとってどうでもいいエロ本のくせに、大衆迎合だとか、文学性だとか、哲学のあるなしとか、そんな大仰なことでケンカになったものだった。
 お前の本は嘘ばかりだ、マニアをバカにしている、と、言われたことがあった。お前の本だって嘘しかないだろうと言い返した。そんなことを懐かしく思いながら、賑やかで楽しい宴席が早く終わらないかと、筆者は下を向いてビールを飲んでいた。居酒屋の店員よりも賑やかなエロ出版社の社員たちの中で、筆者はやっぱり一人だった。
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