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2020年01月20日15:37

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孤独お気楽優しく地獄、その2

 まだ、世の中はバブルの絶頂にあった。筆者もバブルの恩恵か、少しばかり儲け、その儲けたお金で風俗店を作り、しかし、それをつぶしていた。儲かったまま、つぶしていた。そして、弱小どころか明日には夜逃げかと思われる出版社で、一人、マニア雑誌を作っていた。その会社を紹介されたときには、作り手が男三人に女一人だった。社長はイケメンの中年男で、ヨーロッパのスーツを着こなしていた。ネクタイはアルマーニ。しかし、支払いはしない。いや、出来ないのだ。雑誌は赤字ばかり。そこにいた男女はビニ本バブルの後遺症に悩まされていた。つまり、ワイセツなら内容はどうでも売れるという思い込みから抜け出ていなかったというわけだ。
 ゆえに、彼らの本作りは早かった。その頃の売れ筋はビニ本のような写真集型ではなく、読者交際が豊富な情報型の本だった。版型も雑誌サイズのA4版から、教科書サイズのA5版に変わっていた。しかし、そのA5版の本でも、彼らは、まるでビニ本のように写真中心で本を作っていたのだ。買って帰って三十分で読み終わってしまう本と、筆者は言って批難したが、彼らは全て筆者よりも十歳近く年上だったので、聞いてはくれなかった。
 エロ本なのに時間かけて作るのはバカのすることだ、と、彼らは筆者を笑った。適当に会社に来て、一冊百万円で請け負った本を数日で作って帰って行った。同じ本を筆者は一か月かけてギリギリで作っていた。家に帰れず泊まりこみは珍しくなかった。月収百万円ではない。そこに製作費が入っているのだ。撮影、取材、少し依頼する原稿料やデザイン料、その他の経費を抜くと十万円と余らない。自分の店をつぶしたばかりだが、少しの貯えがあり、それでかろうじて生活していた。その頃は家賃四万円のアパートにいたのだが、その支払いさえ厳しかった。
 筆者以外の男女四人は、めったに会社には来ない。かんたんな作業と製作費の仮払いを受けに来るだけだからだ。月に五日といない。会社に毎日のようにいて、そして、徹夜しながら働いているのは筆者だけだった。たまに、新宿で飲んでいたという社長のイケメンが夜中にふらりとやって来て、小さな会社に強引に入れられた応接セットのソファーで寝て行く。
 製作の相談には、いっさい役に立つことのない社長だったが、しかし、モデルの女の提供だけはしてくれた。そこそこに美人で素人の女を提供してくれるのは、ありがたかった。他の四人も、その力でかろうじて本を売っていたように思う。しかし、儲けを出せるところまでは売れていなかった。
 その中、筆者の本だけは真面目さが受けて、少しばかり儲けを出していた。もちろん、筆者も含め、六人が食べて行けるほどの利益は出ない。会社は次第に傾いて行った。借金の取り立て、家賃の催促、冬だと言うのにガスが止められたので、お湯も沸かせなくなった。筆者は熱いコーヒーをポットに入れて持参した。四人の編集者は何度となく社長とケンカして、一人、また一人といなくなって行った。
 ある年の瀬、筆者は、最後に残った五十歳近い男に、どうせ、ギャラの支払いなんかない、と、言われ、こんな仕事をいい若い者がするものじゃない、と、説教された。その頃には、製作費の百万円は一度に出ることがなく、撮影費や取材経費をその都度、仮払いしてもらっていた。つまり、ギリギリで本を作っても、残りの自分のギャランティの支払はなかったのだ。
 それでも筆者は、ギリギリで切り詰めながら三冊の本を出した。三か月かけた。残りのギャランティは三十万円しかない。それをもらっても生活は出来ない。こちらもギリギリだが、そのお金さえ支払われる保証はなかった。いや、むしろ、支払いはないと思ったほうがよかったぐらいなのだ。
 何とか四冊目の本を作り終え、筆者は少しだけのご褒美として、深夜喫茶のコーヒーでもと思っていると、酔っぱらったイケメンの社長が入って来た。四冊目の入稿は自分がするから、もう会社に来なくていいと彼は寂しそうに言った。いよいよ夜逃げなのだろうと筆者は思った。筆者は最後までやって行きますよ、と、言ったが彼は聞かなかった。
 高級そうなスーツは少しよれていた。そのよれたスーツの内ポケットから彼は封筒を出した。封筒は厚い。
「五十万入ってる。これで足りないのは分かってるけど、これが今出来るギリギリなんだ」
 と、そう言って筆者に封筒を渡した。本来なら領収書を書かなければならないのだが、彼は「要らない。必要ないんだ」と、言った。筆者は、もらってないのは四冊分。一冊百万円で契約して、九十万の経費をかけましたから、一冊のギャランティは十万円、ゆえに、と、言いながら、封筒から十万円を抜いて社長に返した。
「焼石に水でしょうけど」
 最後にそう言うと、はじめて社長は笑った。彼が笑うのを見たのはそれが最初で最後だった。
 外に出ると終わっていないバブルと年の瀬に街は浮かれていた。ビデオメーカー時代には、数百万円を平気で持ち歩いていたものだった。しかし、そのときには、四十万円の大金を持っていることが怖くなった。落としたり、盗まれたりしない内に帰ろう、と、喫茶店にも寄らずに家路についた。
 ゆっくりとした朝は遅く、始発電車は酒臭かった。筆者は一人だった。
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