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2020年01月08日01:15

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あの時、SМは終わっていた、その10

 バカを尊敬するというのは、おかしなものだ。しかし、尊敬に値するほどのバカは変態世界には少なくない。その男もそうだった。その男のバカは、トイレ覗きにあった。最近では、もう、珍しくもなく、一時の盛り上がりも、すっかりなくなっている。しかし、今から四十年近く前の話となると、ちょっと違う。隠しカメラの技術は今ほど優れていない。また、小型カメラは今よりも高価で、それを女子トイレに隠し置くのだからリスクも高い。さらに、これを編集する。編集はパソコンを使っていた。まだ、映像のパソコン編集はあまり知られていなかった頃の話なのだ。
 その男はエロビデオメーカーを作り、自ら作った盗撮ビデオを販売していた。レンタルでも通信販売でもない。普通に店に卸していたのだ。そうしたビデオを専門に扱う店舗が当時は数多くあったのだ。
 その他に、男はエロ雑誌のライターなどもしていたし、自ら覗きの雑誌なども作っていた。
 その熱意は相当なものだった。筆者は彼の雑誌で盗撮された女性の告白手記などを書く仕事をしていた。全てにおいて器用な男だったが、唯一、女性の文体で文章を書くことだけが苦手だったのだ。そして、筆者はそれを得意としていた。
 打ち合わせに行くと、本物の盗撮ビデオを見せられた。そして、この女性に追跡取材出来たという設定で書いてほしいとか、この女性は盗撮ビデオをたまたま見つけてしまってショックを受けるという設定で書いてほしいなどと言われ、筆者はその通りのストーリーを作って書いていた。
 ある時、その男の事務所に行くと、急にパソコンが増えていた。それまでもビデオ編集に使うらしいパソコンが数台あったが、その時には、数十台のパソコンが並べてあり、数十台のモニターが動いていた。数十台全てが何かの作業をしているようだった。
 その男のことはよく知らなかったのだが、盗撮ビデオを売り、エロ雑誌を作っているにしては、たいそう贅沢な事務所だった。高級マンションではないが、しかし、3LDKはあろうかというマンションを二つ、隣合わせた状態で使っていた。一方は普通の事務所で、一方が盗撮ビデオなどを製作する彼のプライベートオフィスになっていた。つまり、そちらの3LDKを使っていたのは彼一人だったのだ。
「これ、何ですか」
「これから話題になると思うけど、3D映像だよ」
 分からなかった。いずれにしてもメジャーの仕事だと思ったので、あまり追及はしなかった。お互い、エロ以外の仕事の話はしない、それがあの頃のエロ業界の暗黙のルールのようになっていたからだ。
「悪いな。これから、こっちの仕事が忙しくなるから、エロは廃業だよ」
 男は意味不明なものを写す数十台のモニターを示して、寂しそうに言った。その顔は本当に寂しそうだった。
「もっと仲間が増えると思ってはじめたんだよ。でも、何か違ったんだよ。エロの世界でも、俺みたいなのは軽蔑されちゃうんだよ。お前のやっていることは犯罪だ、みたいにさ。まあ、犯罪なんだけどな。そうかと思えば、お客さんはクレイジーな人ばかり。お前ぐらいだったんだよ。そのギリギリで俺に共感してくれてたのってさ。お前、盗撮には、まるで興味ないのにな。それでいて、共感はしてくれたんだよなあ。でもさ。エロじゃあ儲かりもしないからさ。金儲けなら、あれがいいんだよ」
 もう一度、彼は数十台のモニターを示した。そのときの彼には、はじめて筆者に盗撮用のカメラを見せたときのような、あるいは、新しい編集機材を見せたときのような、高揚感も機材に対する愛情もないように筆者には思えた。新しいことをやる人、金儲けに挑む人、そんな感じが少しもない。何か違和感を覚えた。そのとき、彼に筆者が持った違和感、それは、エロ業界に紛れ込んだ変態女が、それを隠して普通の男と結婚すると言っていたときの、あの感覚に似ていた。
 犯罪である。バカな行為である。女性にとっては、たいそう迷惑な行為である。それがゆえに同じ変態仲間からさえも軽蔑された男。
「どうせ孤独ならさ。金になったほうがいいからさ。どうせ終わりはあるんだしな。どんなものにだってさ。それにさ。これからは盗撮なんて誰にでも出来るようになるからさ。そうなったら俺は必要ないんだよ。でも、こっちは、まだ、俺が必要なんでさ」
 そう言って、もう一度、彼はモニターを示した。冷めた愛情に少しの熱もなかった。筆者は彼は、もう、終わったのだ、と、そう思った。いや、終わったのは彼ではない。彼を拒んだエロ業界、彼を軽蔑した変態の世界、変態を許容しなかったSМが終わったのだ。いや、違う。彼が盗撮を持ってこの世界に来たとき、そのとき、すでにSМは終わっていたのだ、と、筆者は、そのときに思ったのだ。数十台のパソコンの熱量は異常に高かった。しかし、彼も筆者も、その同じ部屋の中ですっかり冷めきっていた。
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