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mixiユーザー(id:2938771)

2019年11月23日08:34

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あの曲が流れていた、その5

「ねえ、気持ちいいの」
 少し大きめの乳首がなければ、まるで少年のような胸の上にある筆者の顔を無表情に眺めながら女が言った。いつものことだった。旅行に誘うのは女だった。免許がないということで、おそらく筆者の車と運転が目当てだと思ったが、筆者は誘いにのった。理由は、女が行きたがるのが混浴の温泉だったからだ。都内からそう遠くない群馬に、その頃は、まだ、残っていた混浴の温泉宿。旅館代は彼女持ちだったが、高速やガソリン代はくれなかった。それでも、少し筆者のほうが得をしていたように思う。思うだけで、それをきちんと計算したりはしない。そうしたいい加減さが好きだったからだ。
 SМクラブの他に、メジャーのデザイン事務所とブティックを経営していた彼女のスケジュールは常にいっぱい、いっぱいだった。旅館の少し豪華な和食のテーブルに、彼女が二つ、筆者が一つ、合計三つのポケベルが置かれる。これが圏外の旅館には行けない。ゆえに、いつも同じ旅館に泊まることになった。夕食にお酒は飲めない。緊急事態で東京にもどる可能性が彼女にはあったからだ。もちろん、筆者にはそんなものはない。さすがに、たまにはポケベルが鳴るが、緊急事態などない。そうしたことのない日を選んで筆者は旅行に出るからだ。しかし、彼女にはそんなスケジュールの余裕がない。実際、二度ほど、夜中に東京にもどらされたことがあった。それでも、彼女はガソリン代も高速代も持ってはくれなかった。
 身体の関係はどうでもよかった。ただ、混浴に興奮した筆者が求めれば、別に拒まないだけで、彼女からそれを求めてくることはなかった。
「私、何してるのかなあ」
 醒めた目で筆者を見つめながら言う。少年のような胸が筆者の揺れに合わせるように揺れている。彼女自身がその揺れをつくることはない。
「ねえ、私、何してるの」
「セックス」
「バカ。私よ。私は何のために生きてるの」
 彼女とは十年近く、そんな付き合いをしていたが、筆者にも、彼女が何をしたいのか、何のために生きているのかは分からなかった。
「中でしないでね。別に避妊はしているけど、あれ、出すの面倒なんだもん。何か悲しい感じになっちゃうしね。奥田君が飲んでくれるなら中にしてもいいけど。ねえ、ところで、私って、何してるの」
 彼女の仕事は充実していた。SМクラブはかなり儲かっていた。デザイン事務所の経営については分からないが、ブティックのほうはかなり儲かっている様子だった。こちらは店の客の入り具合で想像が出来た。そして、どこにいても、彼女は、ポジティブでアクティブだった。常に颯爽としていて、自分よりも年長の男性従業員を従え、それを怒鳴りつけたりしていた。
 ところが、温泉旅館の彼女は、ダラダラとしていて、部屋から露天風呂に行くまでの廊下も、ゆっくりと歩いていた。普段なら、筆者の足でも遅れそうな速さなのだ。その歩き方からは想像も出来ないほど、怠惰な歩き方を温泉ではしていた。彼女が混浴温泉を選ぶ理由は、裸を見せたいからでも、裸が見たいからでもない。怠惰に風呂に入りたいから、それだけだった。他人の目を気にすることもなく、彼女は全裸のまま湯船で筆者の腕に頭を置いて寝そべるのだった。それなら、いっそ家族風呂がある温泉のほうがゆっくり出来ると提案したことがあったが、彼女はわざわざ車で来てまで狭いお風呂は嫌なの、と、気怠そうに答えるのだった。
 筆者は車で音楽を聴く習慣がない。彼女も同じだった。もしかしたら、そうした小さな価値観が一致していたから筆者を誘っていたのかもしれない。
 そんな彼女が、しかし、一つだけ、車の中で歌を聴きたがるものがあった。アルバムの中のその曲だけを聴きたがったのだ。CDのアルバムなので、その歌を選ぶのは億劫なのだが、他の歌をとばして、それだけを彼女は聴きたがった。
 筆者などは、彼女のそのCDでしか、その歌を聴いたことがなかった。その歌というのは日吉ミミ「世迷い言」だった。そして、それを聴く度に、彼女は「こっちなのよ、やっぱり、こっちなのよ」と、言った。何が「こっち」なのか、筆者には、今もその意味が分からない。彼女に尋ねても「いいのよ。そんなのどっちだって、いいのよ。あーあ、私、何してるのかなあ」と、言うだけだった。
 そう言えば、あの歌詞に「デジタル時計がカタリと変わる」と、あったが、デジタル時計が今はアナログな気がする。聴いてみようか、あの歌。今は違って聴こえたりするのかもしれないのだから。データなら買えるだろうか日吉ミミ「世迷い言」を。
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