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2019年11月18日15:36

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あの曲が流れていた、その1

 酷いプレイを好むが、美人だった、いい女だった。筆者が二十代前半のとき彼女は三十代。十歳も上のМ女を相手にSМをするのは滑稽に思えた。それでも、プレイの誘いは断れなかった。緊縛や鞭や蝋燭、浣腸もビデオ撮影の現場で嫌というほど体験していた。ゆえに興味は薄れていた。彼女に対して、やってみたかったのはオシッコを飲ませるという行為だけだった。今では、むしろ、そのほうがかんたんに体験出来そうだが、あの頃は違っていたのだ。オシッコをかけられる男の写真や映像はあっても、かけられる女の絵は、まず見ることが出来なかった、そんな時代だったのだ。
 もちろん、彼女がそれを望んだわけではない。むしろ、彼女は普通に縛られて打たれることを望んでいたのだと思う。しかし、ホテルに入って縛ってしまえば何とかなる、と、そう思っていた。それがSМだったのだ。何がNGとかどうでもよかった。むしろ、やりたくないことを強引にやるのが楽しかったのだ。
 撮影も似たようなものだった。連日がトラブル、連日が修羅場だった。ゆえに、強引な行為に及べるように縛ることにも慣れていた。今から思えば、よく警察沙汰とか裁判沙汰、あるいは、命を失うような事件にならなかったものだと思う。
 その女は、しかし、縛ってくれれば、何をしてもいいと言っていたのだ。もっとも、それはあの頃のМ女としては、SМをしてくれるならセックスされても文句は言わないという程度のことだったのだ。そんなことは、しかし、こちらには関係なかった。常識が通用するようならSМなどやっていない。ましてや、それがSМの常識となれば知ったことではない。
 尿意を我慢しながら、縛り、鞭も打つ、女はその間、いっさい話をしない。お座なりなプレイの後、縛りを変えてバスルームに連れ込んだ。そこは撮影でしばしば使っていたところのバスルームの広さがSМプレイ可能なホテルだった。最近のホテルには珍しいマットもバスルームに用意されていたホテルだった。
 マットに仰向けに寝かせた。女の手足には自由がない。首のところに跨り、鼻を押さえると、女は筆者が何を望んでいるのか察してようだった。
「無理」と、叫んだ。何度も首を左右に振りながら「無理」「ごめんなさい」「無理」と、繰り返した。無視した。やがて女は諦めたように大人しくなった。
「お願い。飲むから。飲むから、お願い、あれをかけて」
 女との約束を忘れていた。本当にきつくなったら、それでも耐えるので、その時は、カセットテープの曲をかけてくれと言われていたのだ。携帯タイプのカセットテープだが、スピーカーを内蔵していてイヤホンなしでも音楽を聞くことが出来た。
 テープを回すとハイ・ファイ・セットの「フィーリング」が流れてきた。古いラブホテルのバスルームには似合わない曲だった。
 女は観念したように目を閉じて口を開けた。鼻を押さえる必要はなくなった。尿意は限界だった。その上、興奮にそれ自身はこれ以上ないほどに膨張していた。必然的にオシッコは喉の奥で発射された。それがきついのか女は涙を流した。いや、それがきついので涙を流しているのだと、その時の筆者には、そうとしか思えなかっただけだった。
 しかし、それは違っていたのかもしれないのだ。
 女は、自分のおかれた惨めな境遇と、もっと別の未来もあったかもしれないという絶望に涙を流していたのだ。
 そう知ったのは、あるエロ本の男性編集者と打ち合わせをしていた時のことだった。その時、喫茶店で懐かしいその曲が流れたのだ。編集者は「この曲ってSМですよね」と、言った。彼は、たった一度だけの関係で全てを燃焼しきる、セックスにも、恋愛にさえない、絶頂で、全てを終えようとするのがSМなのだ、と、そう言った。刹那だからいい。その一度だけで二度がないからいい。だからSМはいいのだ、と、彼はそう言ったのだ。
 そう言えば、あの女とは、一度きりのプレイで二度目はなかった。その頃の筆者は、女の望むプレイが出来ないので捨てられたのだと単純にそう理解していた。一度だけ。あれは最初からそうしたものだったのかもしれない。
 こうして書きながら、思った。この歌をデータで買おう、と。
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