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2019年07月24日00:54

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混迷の公園にて、その5

 蔦屋敷の見える公園。友達のいない小学生の筆者は、常に、その公園で、一人だった。一人でぼんやりと蔦屋敷ばかり眺めていたのだ。子供が家にいることが嫌われていた時代だった。そして、子供が家にいても何もやることのないような時代だったのだ。だからといって、友達もいないし、野球などやれる器量もなかったので、ただ、その公園で、ぼんやりと過ごしているしかなかったのだ。
 いや、もしかしたら、友達と遊ぶよりも、スポーツをするよりも、筆者は、そうして一人でぼんやりと意味のない風景の中に自分を置くことが好きだったのかもしれない。今となっては分からない。
 蔦屋敷はその頃でも、かなり珍しいものだった。少なくとも筆者は自分の生活の範囲の中でそうした家を他に知らなかった。
 蔦屋敷は、あたかも、何かとてつもない秘密をその蔦によって隠そうとしている家であるかのように思えた。同じように、塀が高く、公園に面した壁にはいっさいの窓のない工場もとてつもなく怪しいものに思えた。工場は常にゴムの焼けたような臭いを出していた。そして、公園には昼間だというのに人がいなかった。周囲を遮るような高い建物はないし、工場も、いわゆる高層ビルに匹敵するような高さではなかった。それなのに、どうしてか、その公園の印象は昼間から暗かったのだ。
 蔦屋敷に人の姿を見ることはないのに、蔦屋敷の敷地内にあった石造りの蔵の石の窓は、ときどき開いていた。つまり、誰かがそれを開け閉めしていたのだ。当たり前といえば当たり前のことである。しかし、その当たり前のことが、あの当時の筆者には、とてつもなく不思議に思えたのだった。
 工場の裏には、ときどきだが、マニア雑誌が捨ててあった。小学生には難しい雑誌で、辞書なしには書いてある内容もよく分からないような雑誌だった。雑誌の記事で、今も鮮明に覚えているものがある。それは、何かの実験をしているらしく、被験者の女たちに、何かの液体をどこからか入れて、それによって、その液体が増えて出て来る様子が詳細に書いてある記事だった。液体が何か、そして、どこから入れてどこから出て来ているのか分からなかった。しかし、被験者たちの女の羞恥と苦痛のことは文面から読み取れた。何をしているかも分からなければ、そんな実験に意味もなかったのだ。いっさいの意味のない実験のために女たちを辱め、苦しめるのである。こんなエロがあるものだろうか。
 しかし、とにかくそれは怪しい実験だったのだ。実験とは何なのかも分からないが、実験という漢字がその記事に大きく載っていたのだ。それが怪しかったのだ。
 そこで、こんな企画はどうだろうか、誰かにとってはエロなのだが、それが分からない人にとってはまったく意味不明の行為について書いて行くのだ。
「深く熱く不鮮明なエロ」と、そんなタイトルの企画。どうだろうか。
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