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2019年06月25日01:29

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エロ本を作っていた、その2

 昭和が終わろうとしていた頃。筆者は、女の両足の間に仰向けに寝転がり、そこから落ちてくるだろうオシッコを撮っていた。その頃、安価な防水カメラが発売されたからだった。筆者の作るエロ本を買ってくれているマニアたちにとっては羨ましい仕事だったのだと思う。実際、筆者も、その恵まれた既得権益を捨てようとは思っていなかった。しかし、それは本当に他人に羨まれるような職業だったのか疑問なのだ。
 あの頃、まだ、日本の景気はよかった。ビニ本が売れて儲かった人たちのいた後だった、エロビデオが売れて儲かった人たちのいた後だった、SМクラブにはお客が溢れて、たいていの店が儲かっていた頃だった。
 ただ、ビニ本の売り上げは止まり、エロビデオはそのメーカーが急激に増えてしまったために利益は薄くなっていた。性風俗産業は、まだ、儲かっていたが、マイナー出版社にいた筆者の収益は少なかった。
 筆者は若い女と二人で、六畳一間冷房なしの部屋で扇風機さえつけずにマニア雑誌を作っていた。六畳一間木造のアパートでは冷房など入れられないし、そもそも、買えもしなかったのだ。その上、まだ、パソコンで全ての編集作業が出来る時代ではなかったので、扇風機も使えないし、風があれば窓さえ閉める必要があったのだ。流れる汗を原稿用紙や製版指定紙に垂らさないように注意しながら作業をする。熱帯夜に、その夜があける頃まで仕事をしていると、自分がダラダラと汗をかいているのか、涙を流しているのかさえ分からなくなったものだった。
 あまりに暑いと風呂場で水を浴びる。風呂だけはついていたのだ。仕事を手伝う若いその女が目の前で定規とポジフィルムとパラフィン紙と格闘していた。性的な興奮はない。そんな余裕はなかったのだ。精神的にも肉体的にも。
 それでも暑さを我慢出来なくなると、近所の公園に行く。そこで夢を語り合う。まるで青春ドラマのようだが、語る夢は、自分が本当に作りたいエロ本のことだけだった。その女は、男にオシッコをかけたり飲ませたりする女の写真や小説や告白手記しかない本を作りたいのだと言っていた。筆者はその夢に共感しながら冷たく甘い缶コーヒーを飲んでいた。そんな本を作るために、今は、この貧乏に耐えるのだと励まし合った。熱帯夜の都会でも、さすがに公園にいると少しは涼しかった。
 その女は、ビニ本もエロビデオも、そこに心理描写がないからつまらないのだ、と、そう言っていた。はじめて男の顔にオシッコをかけたときの女のためらい、戸惑い、不安が写真や映像では伝わらないのだ、と、その女は深夜の公園で力説していた。
 ちょうどその頃。エロ出版業界は、教科書サイズのエロマニア雑誌が売れ始めていた。ビニ本の反動だったのか、文章の多い雑誌が売れはじめていたのだった。売れても一万部。しかし、売れなくても五千部ぐらい捌けた。ただし、それはマニアックな内容の物だけだった。ただ、女がオシッコしているだけの雑誌では売れなかった。過激なSМも、緊縛も、それがマニアックでなければ売れなかった。
 同じ女のオシッコでも、立ちション専門雑誌とか、野外放尿専門雑誌とか、顔騎オシッコ専門雑誌と、かなりマニアックな内容の物だけが売れたのだった。
 昭和が終わろうとしていた頃。筆者は、女のオシッコを浴びながら僅かなお金を得る仕事をしていた。羨ましいと言われれば言われるほど惨めになって仕事をしていた。汗と涙とオシッコにまみれて仕事をしても、製作品から必要経費を抜くと僅かなお金しか残らなかった。
 一緒に仕事をしていたその女の夢の企画の雑誌を作ることが出来て、それが大惨敗の返品の山と分かった時、その女はエロの仕事を諦め、そして、田舎に帰って行った。その女の田舎がどこだったのか。半年以上も二人一つの部屋で互い全裸で仕事をしていながら筆者は知らなかった。その女の企画した雑誌は筆者には面白かった。しかし、売れなかった。それが原因ではないが、その雑誌を出した出版社はその半年後ぐらいには倒産していた。貰えなかったギャランティの約束だけが残った。
 昭和の終わり頃。まだまだ、エロ業界は儲かっていたのだが、つぶれて消えて行く本も会社も、そして、人も少なくはなかったのだ。それが昭和のエロ本だったのだ。
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