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2019年02月19日16:10

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企画の話をしよう、その4

 食べることに興味のない人がエロだけ熱心に語る姿を見ていると滑稽に思えてしまう。食べることに興味がない、食べる物など何だって同じだ、回転寿司も銀座名店の寿司も寿司は寿司だ、と、そんなふうにしか思えない淋しい感性の人にはエロだって分からない。そうした人のエロは寂しいからくっつくだけのエロなのだ。エロは探求心なのだ。美味しいと聞けばどこまでも出かけて行ってそれを食べたい、借金してでも食べてみたい、どんなに並んでも食べたい、と、そうした欲のある人がエロにも欲があるものなのだ。だから性欲なのだ。愛されたい欲とは違うのだ。尊敬されたい欲とは違うのだ。 
 ところが、筆者は食べることについてあまり書かない。ブログでくだらない食べた日記に一石を投じるために筆者なら、グルメとか食事についてこう書くというのをやったことはあるが、それは本気ではない。お前が何をどこで食べようと興味ない、興味を持たせたいなら、せめてこう書いてくれ、と、そうしたメッセージをこめたに過ぎないからだ。
 しかし、食べるという行為はかなりエロティックなのだ。料理となれば、もう、単純なセックスなどよりはるかに官能なのだ。次の感想会は「人質の朗読会」小川洋子 (中公文庫) になるのだが、残念ながら、課題は料理ものではない。しかし、この一冊で「ワイセツ」過ぎるので倫理規定で発禁にしてもいいと思うほどの短編がある。しかも、筆者の記憶が確かなら主人公の子供時代だ。子供なのでミクシィなら削除かもしれない。それを読んでいて、こんな作家に、他の何で負けても当たり前だし、比べることが無礼だとは思うのだが、エロでまで負けたくない気がして、エロでも負けるのはあまりに悔しい気がして、何かやってみたくなったのだ。
 こちらは三流のポルノ編集者だったのだ。一流のポルノ編集者でさえない。しかし、ポルノを専門にやって来たのだ。思想を捨て、恋愛を捨て、スポーツの栄光を捨て、ビジネスを捨て、難病も、時代も、娯楽も捨てて、ひたすらエロだけを求めてやって来たのだ。それが食べるという、もっともエロを表現しやすい分野で負けてどうするのか。
 そこでどうだろうか「口の中で交わって」と、そんなタイトルで、エロと食べるをテーマに、あの人とのあの食事はエロだったとか、あの人の料理を作る姿に官能したとか、裸よりも口こそがエロだと言った男の話などを書いて行くという企画。文章力とか表現力とか小説の上手さはどうでもいい。せめて、エロだけは負けてないという何かを書いてみたい、そのためだけの企画。
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