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2021年04月13日14:15

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「吉田博展」・・・・パラミタミュージアム

4月11日

4月10日に四日市のビジネスホテルに泊まって、11日の朝、7時半くらいにまた片岡温泉に行った。
1時間くらいゆっくり入って、マリアージュ・ドゥ・ファリーヌ(パン屋)でパンを買って、イタリアンレストランで モーニングセットを食べた。

それから、パラミタミュージアムに行った。
9時半から開館しているのを知っているので、ゆったりと出かけた。

この日は、午後2時から講演会があるので、とりあえず講演会の予約をした。
それから、展示を一通りさっと観てから、また片岡温泉に行った。(再入場)

朝風呂は すいていて良い。 走り回っている子どももいなかった。

それから、昼食を近くの店で食べたのだが、量が多すぎて、ほとんど残してしまった。

いよいよパラミタミュージアムに戻って、講演会を聴いた。
その講演会の会場には、池田満寿夫の「般若心経シリーズ」のオブジェが展示されていて、それらの展示と一緒に講演会を聴いた感じになった。
この空間は良いね!

吉田博という人は、反骨精神の塊みたいな人で、この頃の人たちは フランス留学に行ったりするのが主流だと思うが、アメリカに 自分の描いた水彩画を売りに行っていた。

そのアメリカで 水彩画が売れて、当時の月給の30ヶ月分くらいだったらしい。
もしかしたら、年俸の30倍だったのか?そんな話を聞いた。

アメリカでは、日本の浮世絵が 大ブームになっていて、そんなに大した作品でもないものが高値で売られていたものを見て、吉田博は 自分でも木版画を作りたい。と、思った。

渡邊版というもので 最初は版画を作っていたが、後に自分のレーベルを作り、自分の好きなように作り始めた。
「自分の納得のいくものを作りたい。」と、思ったようである。
大正14年には、「ホノルル水族館」など米国シリーズ5枚と、欧州シリーズ11枚を作った。
吉田博は 登山家でもあったので、山の絵もたくさん描いていた。
「奇跡の1926年」と言われるように、大小15年(1926年)には、日本アルプス12題や瀬戸内海集を作った。

富士山を描いたものや、東京の風景、動物園、インドと東南アジア、関西、桜8題、北朝鮮、韓国、旧満州、日本各地の風景、

こんなに多くの作品を作っていたのか。と、驚くほどだった。
これまで吉田博の展覧会は 行ったことがあったが、これほどいろんな作品を観たのは、初めてだった。

夏目漱石の「三四郎」に出てくる「ヴェニスの運河」というのは、この絵のことだったんだ。と、思った。

吉田博は 大きな作品も作っていて、54.5×82.8のサイズの版画があった。
「渓流」という1928年の作品では、自分で板木を1週間彫り続けていて、歯を食いしばりながら彫ったので、歯が痛くなったという逸話が残っていた。
吉田博の作品は、分業でやってたので、自分で板木を彫ることは しなかったのだが、「渓流」の絵は自分で 板木を彫った部分があり、他の絵とは違って、不器用そうな感じだった。

見応えがあった。充実の展示で 良かった。泊りがけで行った甲斐があった。
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