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2021年03月14日17:20

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Shock of Dali ・・・オンラインイベント

3月14日

午後2時より 諸橋近代美術館のオンラインイベントがあり、1時間半強の時間で「Shock
of Dali」の展覧会の予習ということで聴いた。(諸橋近代美術館では、4月24日からの開催である。)
私は 三重県立美術館に行ってこの展覧会を観たので、復習という感じだった。
美術館のオンラインイベントに参加するのは初めてで、どういうふうなのかと思っていたが、こんなにじっくりと説明されるとは思わなかった。

まずは、美術館の紹介から。
諸橋近代美術館は、福島県の会津地域にあり、裏磐梯エリアにある。国立公園の中にあり、風光明媚な場所にある。
今日は、こちらでは名古屋ウィメンズマラソンが行われ、晴天で温かい日だったが、諸橋近代美術館の外は、雪景色で、雪が降りだしたと言っていた。
1999年に開館し、去年20周年だった。
ダリの作品は、38点の立体作品を所蔵していて、絵画作品を合わせると、340点以上の作品群を所蔵している。
ダリだけではなくて、ゴッホやルノワールも所蔵している。
美術館の外観は、中世の馬小屋をイメージしている。
アーチ状の窓から 磐梯山の噴火口が見える。雄大な自然に囲まれている。

Daliの経歴
1904年 スペイン フィゲラスで生まれた。
1921年  王立美術アカデミーに入学
1925年  アカデミーから放校
1929年  映画「アンダルシアの犬」がパリで公開された  ダリが脚本を書いた
シュルレアリスム グループに加入

1934年 シュルレアリスムグループとの隔絶
1940年〜48年  アメリカ合衆国へ亡命
1983年  遺作「ツバメの尾」
1989年  スペイン フィゲラスで没する

1929年より前 ガラがダリの才能を見抜く

シュルレアリスム
1914年 第1次世界大戦
1924年  アンドレ・ブルトン「シュルレアリスム宣言・溶ける魚」
文学・思想の面から生まれた  既成概念を廃する  自動筆記  常識にとらわれない

ダリ、ユゴー、ガラ・エリュアール、アンドレ・ブルトン「甘美な死骸」(1934年)
紙を4分割して、描きたいものを描く  偶然性が大きい

1966年 アンドレ・ブルトン没


ダリ「ビキニの3つのスフィンクス」(1947年)
意識を研ぎ澄まして 緻密に描かれている   考え抜いている  
1つのもののイメージの中に 別のイメージが浮かぶ  Wイメージ
見えないものが見えてくる  水爆実験のキノコ雲、樹木

日本にどのように紹介されたか
1930年  「アンダルシアの犬」の映画が入ってきた
書籍の映画論評 

「ダリの影響が一部の若い作家の間に不可視な光線のやうに伝播した。」1939年
瀧口修造

「洋画研究」1933年2月・・・ダリのモノクロの絵
「みづゑ」1936年 9月号・・・ダリの絵が カラーで紹介された
ダリの作品とダリの思想が急速に紹介された
「美術」1937年 2月号  
ダリの顔写真も入ってきた
「アトリエ」1937年 1月号

吉井忠・・・1939年 ヨーロッパ留学   ピカソのゲルニカに感銘を受ける
当時のヨーロッパの芸術を吸収しようという機運があった その中にダリも

1937年 海外超現実主義作品展・・・日本で初めての展覧会  全部複製
瀧口修造がかかわっていた

1939年  「ダリ」画集  瀧口修造    ダリに対する注目度の高さ

「ダリのエピデミックな影響は 良いにつけ悪いにつけにつけ考えさせられた」1939年  瀧口修造

ダリの影響を紐解く15人の日本人前衛画家
ダリブーム(1936年くらい) 日本は戦時中  

それらは模倣か
島津純一「女性的パラノイア」1937年
渡辺武「祈り」 1938年   地平線  雲が人の横顔のよう
白木正人「留人」1952年

あるいは革新か
斎藤長三「窓から」1956年
米倉壽仁「早春」1940年
浅原清隆「多感な地上」1939年
浜田浜雄「予感」1937年

時代背景  戦火に巻き込まれていく
自分なりの表現に昇華している   単なる模倣では終わらない
ダリという新たな表現言語を獲得

お勧めの絵
浜田浜雄「タイム・キーパー」1938年
赤茶けた大地   卵 右下の影   

米倉壽仁「ヨーロッパの危機」(1936年)
「内乱の予感」ダリ  岩のくぼみがたくさんある   割れた卵
米倉壽仁「早春」1940年   大きく欠けた卵  突き出た木の枝

渡辺武「祈り」1958年   もくもくする雲   表情が分からない人
白いドレスを着た女性 黒いタキシード姿の男性が祈っている・・・ミレーの「晩鐘」

石井新三郎「夏の午后」1938年  
斎藤長三「三時の休憩」1937年   

Daliの精密な描写力   学んでいたものを前衛的なものに変容

ダリブーム 1936年〜1940年  1947年〜展覧会

ダリは眠りに入った時に夢を書き留める手法をとっていたという話・・・事実

随分 中身の濃い内容だった。この展覧会はこういう展覧会だったと確認できた。

 





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