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2021年02月10日08:38

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「わが青春の上杜会」・・・豊田市美術館

「わが青春の上杜会」・・・豊田市美術館
1月31日

コンサートが終わり、いよいよ展覧会を観れる時間になった。

チラシより
「大正」から「昭和」への改元は、1926年12月25日のこと。翌1927年(昭和2)年3月、「昭和」になって初めての春に、約40名の若者たちが東京美術学校(現東京芸術大学)西洋画科を卒業しました。
「上杜会(じょうとかい)」は彼ら全員(中途退学者含む)で結成された同期会です。
各々の自由な発想を尊重し干渉しない関係性をモットーに、卒業半年後には早くも上杜会第1回展を開催します。
当初からおしなべて優秀と評され、戦前に10名以上がヨーロッパ留学を果たした彼らの多くは、昭和期終盤まで画家として活躍しました。文化勲章受章者を3名(牛島憲之、小磯良平、荻須高徳)輩出したことも極めてまれなことです。
戦前から活躍してきた彼らは、戦後は一変した時代の流れに身を置くことになります。そのなかで、洋画壇の主軸を担い、日本を離れて新境地を求め、地方の美術振興に尽力し、あるいは画壇から離れ独自の道を歩みました。

上杜会はほぼ毎年開催され、1994(平成6)年まで続きました。互いの活動を認め合う場として、彼らの絆は半世紀以上も紡がれていたのです。

当時最もアカデミックな美術教育を受けながらも、千差万別な彼らの画業を俯瞰することで、「昭和」における洋画壇の様相と、一人ひとりの生きざまが立ち現れます。
「昭和」からすでに30余年、彼らの作品が新たな令和の時代を見通すヒントとなれば幸いです。


藤島武二や和田英作、岡田三郎助は 有名で、東京美術学校で教師をしていた人だが、こういう会で 活躍していたとは知らなかった。

私は、神戸市立小磯良平記念美術館に行ったことがあるが、小磯良平のアトリエが復元されていて、それも見たことを思い出す。なかなか上品な絵を描く人だな。と、思った。小磯良平の「着物の女」は、この展覧会のポスターにもなっているが、モダンな柄の着物を着ていて、女性の強さを感じさせる絵であった。女性のまなざしが、未来を見据えているように見えた。

洋画の本流を歩んでいるような人がいるかと思えば、抽象画を描いている人や、プロレタリア画家もいたり、いろんなジャンルの絵が観れた。

そんな中で、菱田春草の甥の菱田武夫という人の絵を見つけた。春草の甥が洋画家とは知らなかった。
そこで、昭和2年東京美術学校の西洋画科卒業写真を見たら、春草に顔立ちが似ていた。(それは最初の部屋に展示されていた)
たった1枚だけの展示で、前期展示だけ(2月7日まで)だったので、貴重な絵を観たなあ。と、思った。

戦争中は従軍画家として活躍した人もいて、プロレタリア画家としてやっていた人が 逮捕されるのを心配して、「一緒に中国に行こう」と誘ったんじゃないかな。と思われる人もいた。その人は、中国の子供たちばかり描いていて、一種の反骨精神を感じた。
小磯良平は 兵士とか真面目に描いていた。

戦争が終わって、自由な活動ができるようになってから、それぞれのカラーが出てきた。

この展覧会を観て、自由な表現ができる時代に感謝しながら、時代に翻弄されながらも 画家として力強く生きてきた上杜会の画家たちをたくましいな。と、思った。

中には 短命な人もいて、こういう人がいたんだ。と、思ったり、平成6年まで 長く続いたというのも凄いな。と、思ったりした。

前の日に観た「日展」と比べてはいけないけれど、こちらの展覧会の方が 見ごたえがあった。

後期展示も 観るかもしれない。
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