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2020年09月06日16:46

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「旅人は伊勢をめざす〜お伊勢まいりの歴史」・・・豊橋市二川宿本陣資料館

9月5日

豊川市桜ケ丘ミュージアムの後、豊橋市二川宿本陣資料館に行った。

「江戸時代になると東海道をはじめとする五街道が整備され、宿場町では宿屋や荷物を継ぎ送るシステムなどインフラが充実し、旅人にとって旅のしやすい環境が整いました。
江戸時代の庶民は、原則居住地から離れる旅は認められていませんでしたが、宗教行為である社寺参詣や医療行為である湯治は盛んに行われ、なかでもお伊勢参りはもっともポピュラーなものでした。
江戸時代には、およそ60年に一度「おかげ参り」と称する爆発的な伊勢大群衆が流行しました。また、東北や関東からのお伊勢参りは「一生に一度」といわれましたが、三河地方からは年中行事の一環であり、伊勢は身近な存在でした。三河国吉田(現豊橋市)からは伊勢湾を船で渡る航路があり、名古屋廻りの陸路では凡そ4日間の行程を、半日で渡海できるショートカットのコースが多くの旅人で賑わいました。
本展覧会では、江戸時代の旅人が記した旅日記や、旅のガイドブック、絵図などをもとに、江戸時代のお伊勢参りの歴史を紹介します。」・・・チラシより

展示の中では、船で渡る人が増えて、商売妨害だというので、名古屋の宿屋が訴えたものがあった。4日間かかるものが半日で行けたら、どうしたってそっちの方が良いに決まっている。その訴えは却下された。ちょっと可哀想な話。

浮世絵の中で いかにお伊勢参りに大勢の人が出かけたのか、その様子が表されていた。

几帳面に日記にお伊勢参りのことを書いている人がいて、いくらかかったのかが克明に書かれているものがあったり、日程を書いたものがあったりした。

せっかく出かけるのだからということで、お伊勢参りだけでなく、金毘羅参りまで行ってしまった人もいて、家を1か月以上も留守にしている人もいた。

1つ1つの資料から 人々の様子が伺えて、興味深かった。

「伊勢音頭踊之図」というものがあって、楽しそうな様子がうかがえた。





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