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2020年03月22日20:11

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東京に行ってきた(7)

府中からまた新宿まで戻る電車には 座れたので、座ったらどっと疲れが出てきた。
少し眠ってしまった。
新宿から丸ノ内線で四谷まで行き、四谷から南北線に乗換えて、東大前駅まで行った。

弥生美術館と夢二美術館であった。
もうひとつの歌川派?! 国芳・芳年・年英・英朋・朋世〜浮世絵から挿絵へ……歌川派を継承した誇り高き絵師たち

歌川豊春から始まる浮世絵界最大の派閥を「歌川派」といいます。豊春から豊国へ、そして国芳から芳年へと枝分かれし、さらに年方→清方→深水へと続く華やかな系譜がよく知られています。
しかし、この他にも優れた歌川派の系譜が存在するのです!
それが年英→英朋→朋世の系譜です。明治・大正・昭和の時代にそれぞれ活躍し、絶大な人気を得た彼らの類まれなる才能は、このまま忘れ去られるにはあまりに惜しいものがあります。
市井の人々の支持を得て町絵師として生きた国芳や芳年の気骨は、むしろ、年英、英朋、朋世にこそ、脈々と受け継がれていったと言えるでしょう。
浮世絵から挿絵へ……歌川派を継承しているという誇りを胸に掲げ、挿絵の世界で大きく羽ばたきながらも、時の流れに埋もれてしまった絵師たち。知られざる「もうひとつの歌川派」が今、鮮やかに甦ります。
また、本展では、生誕140年を迎える鰭崎英朋(ひれざき・えいほう)の幻の日本画「焼あと」(明治38年烏合会出品作)も初公開いたします。

鏑木清方は有名であるが、鰭崎英朋は知らなかった。
系譜を見ながら、挿絵画家というのは 埋もれてしまうものなのか。と、思った。
鏑木清方や伊藤深水は 美人画の展覧会では欠くことのできない存在で、いろんな展覧会で絵を観てきたが、鰭崎英朋の絵は 初めてだった。
認識を新たにした。

夢二美術館では、夢二の「サーカス」の絵が観れて、女学生の制服などを観た。
平塚らいてうの写真も初めて見て、美人だったんだなあ。と、思った。
らいてうは おしゃれな人だったらしい。

太田記念美術館が休館だったので観れなかったが、それを観ていたら良かったのに。
あの美術館ならば、そんなに人が大勢集まるような場所だとは思えないのだが、何でも自粛してしまうのが残念だ。

結局、今回の東京での見物は これでおしまい。

いつもの時間よりも早めに帰ってきた。

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