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2020年02月19日21:04

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岡山への旅(2)

次に出かけたのは、笠岡市立竹喬美術館である。
この美術館の展覧会のことを知ったのは、つい1週間前に 「新日曜美術館」のアートシーンを観たのがきっかけで、つい行きたくなった。
范曽美術館に行くことは決めていたが、他に行く場所は 決めていなくて、急に決めた。
「菊池芳文展」を観た。

《特別展》近代花鳥画の名手 菊池芳文
令和2年1月25日(土曜日)〜3月8日(日曜日)
優れた技能 清爽な花鳥画

 このたび笠岡市立竹喬美術館では、明治・大正の京都画壇において、花鳥画の名手として活躍した菊池芳文の展覧会を開催します。菊池芳文(1862〜1918)は、文久2(1862)年に大坂で生まれ、ほどなくして菊池家の養子となります。明治14(1881)年から四条派の正系である幸野楳嶺に師事し、内弟子として本格的に学びました。明治15(1882)年の第1回内国絵画共進会展で銅賞を受賞。その後も、明治19(1886)年の京都青年絵画共進会展で第1席を獲得するなど、早くから高い評価を得ていました。

 芳文は、竹内栖鳳や谷口香嶠、都路華香とともに「楳嶺四天王」の一人に数えられ、京都画壇において、重要な位置を占めるようになり、明治40(1907)年に開催された第1回文科省美術展覧会では審査員と務めています。明治42(1909)年に京都市立絵画専門学校が創立されると、教授に就き後進の指導にもあたっています。自らの画塾で門人たちを教えるのみならず、京都における日本画の発展に深く寄与しました。

 芳文の描く花鳥画からは、卓越した色彩感覚や秀麗な描線によって、清澄な雰囲気が醸し出されています。その卓越した技能と清爽な作風は、弟子であり婿養子となった菊池契月へと継承されていきました。本展覧会では、京都画壇で竹内栖鳳と双璧をなしながらも、これまであまり注目されてこなかった菊池芳文に焦点を当て、芳文が果たした近代日本画における業績を見つめ直します。

確かに、これまで「菊池芳文展」というものを観たことが無かった。
こうして展覧会を観て、花鳥画のすばらしさを改めて感じた。
小野竹喬は、笠岡市の出身だということも初めて知った。
常設展では 小野竹喬の作品を観ることができた。

笠岡市という所に出かけたのは初めてで、岡山駅からこんなに遠い場所だということも知らなかった。倉敷という場所でさえも、岡山駅から相当遠い場所にあると思っていたが、
まさかその倉敷よりも随分遠い所だということを今回 初めて知った。
岡山駅から電車で 1時間くらいもかかる場所で、その後 バスが1時間に1本しかない場所だった。

菊池芳文だけでなく、菊池契月の絵も展示されていたが、美人画というよりは、実際の女の人を描いた絵で、珍しい気がした。


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