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2020年01月12日18:12

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没後90年記念  岸田劉生展・・・名古屋市美術館

お粥を食べた後、名古屋市美術館に行った。

以前 豊橋市美術博物館で 「岸田劉生展」を観たのだが、その時に麗子さんの娘の夏子さんの講演会を聴きに行ったことを思い出す。
夏子さんは画家であるらしいが、彼女の絵を観たことは無い。
夏子さんの方が、あの絵の「麗子像」に似ていた。
本物の麗子さんは、わりと美しい人だった。20歳頃の写真が 豊橋では展示されていたからそう思った。(名古屋ではその写真の展示は無かった)
名古屋の方が お金があるのか、岸田劉生展の内容は 充実していた。
絵の数が多かった。
初期の水彩画をこれまで観たことが無かったし、友人たちの肖像画も こんなに多くはなかった。
この展覧会を名付けるならば、「岸田劉生展の決定版」である。
これ以上の充実した展覧会は無いだろう。

ただ、名古屋展で 残念だったのは、あの有名な「道路と土手と塀(切通之写生)」(1915年)が展示されていなかったし、「麗子肖像(麗子五歳之像)1918年」も展示されていなかった。名古屋は馬鹿にされたもんだな。
やはり、東京で観なければいけなかったのか。と、思った。寂しい気持ちになった。

「切通之写生」は、東京国立近代美術館で観たことがあるから別に良いけれど、決定版「岸田劉生展」としては、物足りない展覧会になった。
いちごの載っていないショートケーキのようなものだった。

1912年に岸田劉生は「ヒュウザン会」を作ったという記事があるのだが、そこに藤井達吉の存在が書いてなかったのが、残念だった。
碧南市藤井達吉現代美術館では、ヒュウザン会に参加していた画家の絵も収集している。
劉生の油絵は高くて買えないそうである。
それで、碧南市藤井達吉現代美術館には岸田劉生の「二人麗子図」の水墨画が存在する。
水墨画ならば、予算内で買えたそうである。その絵は この展覧会では展示されていなかった。かえってあの水墨画の「二人麗子図」は貴重かもしれない。
誰か 碧南市藤井達吉現代美術館に寄贈してくれないかな。

ただ、「麗子微笑」(1921年)が 2月16日までの展示なので、その絵が観れただけでも良かった。
あの絵に描かれた毛糸のケープが 売店で 13000円くらいで売っていて、それは豊橋の展覧会の時もあったが、あんなものを買う人がいるのかな。と、思った。
どう見ても、子供用の小さなものであった。
岸田劉生の描いた自画像の変遷は 凄かった。
こんなに自分の顔を何度も描いたのは、レンブラントかゴッホくらいしか思いつかない。

岸田劉生は、ゴッホをまねして描いたり ゴーギャンをまねして描いたこともあった。
それらの絵も展示されていた。
初期の水彩画は なかなか良かった。

少し気になったのは、劉生がキリスト教に入信していたが、途中で キリスト教を捨てたということが書かれていたことである。
どういうことだろう?
何があった?
もし 知っている人がいたら、教えて欲しいです。

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