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2017年12月02日19:08

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高井鴻山記念館

中島千波館の後、高井鴻山記念館に行った。

中島千波館で3館セット券を買ったので 高井鴻山記念館にも行くことにしたのだった。

高井鴻山(文化3〜明治16年/1806〜1883)

鴻山は、幕末維新の激動期に、その時局の変化に対応しつつ、陽明学(儒学の一派)の教え「知行合一」の精神で“国利民福”の信条をつらぬいた人である。
15歳から16年にわたり、京都や江戸へ遊学し、各界第一人者から多彩な学問や芸術を修めた。自由で幅広い人脈を築いた鴻山は、父の死により高井家の当主となってからも、学問芸術に情熱を傾けた。佐久間象山をはじめ当時の日本史を彩った思想家や文人たちと交流し、日本の行く末を憂い、巨万の財力を惜しみなく使い幕末の変革に関わった。
 また、江戸の浮世絵師葛飾北斎をはじめ多くの文人墨客を招き、小布施を文化の香り高い地に育んだ。飢餓には窮民を救い、維新後は教育立県を強調し、東京や長野に私塾を開いて教育活動に専念した。

高井家

高井家は、元和年間(1615〜24)に浅間山麓の市村より移住したといわれる。その後、六斎市での商売などを通じて北信濃きっての豪農商となり、飯山藩や京都・九条家などの御用達を勤め、小布施を拠点に、信州はもとより江戸、京阪、北陸、瀬戸内までも商圏として手広く商いをした。飢饉の際は、代々築いてきた巨万の財を惜しみなく困窮者の救済に当てている。
鴻山の祖父は、天明の大飢餓に倉を開き窮民を救ったので、その功績が幕府に認められ「高井」の名字と帯刀を許された。
このように高井家は、大事業家であると共に、慈善家としての家風も受け継ぎ、庶民のリーダーとして社会に深く関わった。この家風が、鴻山の生き方の根底になったといえる.

「鴻山の愛でた江戸の名品」・・・今回の企画展

「美しいものを愛した鴻山。友人の依頼に応じて江戸や京都から絵画を入手していた鴻山のメモ帳には、岸駒、伊藤若冲、谷文晁など優れた絵師の名前が見られます。今回の展覧会では、若冲の「鶏百態図」、伝・狩野探幽斎の「四季鶴」、文晁の「蘭と梅」など見事な屏風絵のほか、酒井抱一の「秋草名月」などの名品を一堂に集めました。また、江戸期に使われていた、地元の画人・平松葛斎と小山岩治郎の絵の具箱も展示しますので、ぜひこの機会にご覧ください。」・・・チラシより


まさか、ここで伊藤若冲の「鶏百態図」が見れるとは思いも寄らなかった。

それから酒井抱一の作品も 良かった!

また、ここでは2階に上がると、鴻山が弾いていたという楽器を 試しに弾いてみることができ、弦を抑える場所が書いてあるので、「荒城の月」や「さくらさくら」が 簡単に自分で演奏できるようになっていた。1本の弦を抑えて音を出すものなので、少し練習すれば弾けそうな感じだった。
ちなみに、その楽器の名前は一弦琴という。
勿論 私は 試しに弾いてみた。

鴻山の描いた絵や書の展示もあり、趣味人としてはなかなかのものだと思った。

北斎をわざわざここに呼んできて、師と仰いで尊敬し、アトリエと経済的な支援もしたというのは、凄いな。と、思った。

そのおかげで、今でも 岩松院の天井画や 肉筆画、お祭りの屋台の天井画を見ることができるということで、良かったなあ。と、思った。

セット券で 買ったので行ってみた場所であったが、なかなか見応えがあった。

丁度、企画展が 良いものだったからかもしれない。


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