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2017年04月23日17:55

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東山魁夷 唐招提寺御影堂障壁画展

鞍ヶ池アートサロンの後、豊田市美術館へ向かった。

今回 豊田市美術館で 「東山魁夷 唐招提寺御影堂障壁画展」を開催することは、2月の日展を観に行った時に チケットを売っていたことで知っていた。その時に すぐにペアチケットを買った私。

「まさか豊田市美術館で そんな大きな展覧会をやるの!」と、思った。
というのは、豊田市美術館は 現代アートを展示する美術館であると思っていたからである。愛知県美術館ではないのか。と、ビックリした。

豊田市美術館には もう何度も出かけているが、最もガッカリしたことは、フェルメールの作品が展示された時に 照明が悪すぎて かえって図録の絵の方が良かったことがあった。あのフェルメールの「地理学者」は最悪だった。他のオランダ絵画も台無しだった。
照明が悪いと、絵が こんなふうに見えるのか。と、改めて感じた。

今度は大丈夫か!と、思った。

でも、それは 取り越し苦労だった。
今回の展示では 障壁画が 浮き上がり、美しく見えるようにちゃんとしていた。
良かった!!

東山魁夷の「日本の美を求めて」(講談社学術文庫)という本も読んだが、その中で「唐招提寺の魅力」という項目があり、これも参考にしながら絵を観ると、一層この絵が凄いなあ。と、思った。
唐招提寺には行ったことがないので、修繕工事が終わったら、ぜひとも行ってみたいと思った。
今 修繕工事中なので、こういう障壁画展を開催しているわけである。
この本の中で、「山雲濤声」という項目があり、それは障壁画が完成した時に東山魁夷が記念講演会で語った言葉が載っていた。
障壁画について語っていて、日本の風景の二つの大きな要素である山と海によって鑑真和上がごらんになれなかった日本の風景を描いてお慰め申し上げる。(鑑真和上は日本に来た時には盲目になっていた)そういう気持ちと共に、和上の徳の高さを山にたとえ、精神の深さを海にたとえて障壁画を描いた。
日本に来る旅の上で、何度も荒い海に船を浮かべ、あるいは波の上に漂い、幾多の苦難に会ってもひるまなかった。鑑真和上の伝記を読んだり、唐招提寺をはじめ。奈良・大和の古寺について勉強したり、日本各地の海や山の写生旅行をしたことなど、障壁画を描くにあたって 随分勉強されたことが分かった。

東山魁夷の言葉で 特に印象に残ったのは、「障壁画は私が描いたのではない。森本長老の熱意とその背後の鑑真和上のお導きによって、無心で筆を動かしていたにすぎない。」と、講演会で言ったことである。

とても謙虚で、凄い画家だったんだなあ。と、思った。

鑑真和上の故郷の揚州の柳、桂林の風景、日本の海や山の風景が見事に障壁画に結実した感じがした。

障壁画とともに、下図やスケッチなどの展示もあるので、興味深く観た。

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