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2016年04月30日18:20

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「藤田嗣治展」・・・・名古屋市美術館

今回の展覧会では、ランス美術館所蔵のものが三分の一を占めるというので、これまで見たことの無かった藤田の作品が観れた。

個人蔵も 何点かあったので、良かった。

展示室に入ると、東京芸術大学所蔵の 「婦人像」と「自画像」があり、黒田清輝の絵のような感じだった。大学では 黒田の指導を受けたことが 良く分かった。

厳格な家庭に育った藤田だったが、父親に画家になることを言ったら、すんなり許してくれて、おまけにフランスに留学するお金まで出してくれたとは、何と寛大な人だと思った。

私なら、絶対に許さないだろう。画家なんて、全然 お金が稼げないと思うので。

その当時に フランス留学なんて、どれだけお金がかかったんだろう?信じられない。

フランス留学することで、当時の日本人の妻とは離婚することになったことを何かで読んだ記憶があるが、日本人の妻は どう考えていたのだろうか?

藤田は その後、フランスで 3人の女性と関係を持ち、絵のモデルもしてもらった。

モデルをしてもらって親密になったのかもしれない。

「乳白色の肌」を描いて、フランスで 流行の画家になった。

でも、そこまでになるまでには、キュビスムの絵を描いてみたり、アフリカの彫刻に影響されたような絵を描いたり、メランコリックな感じの絵を描いたりして、模索していた。

そんなころの絵を 今回の展覧会で展示されていて、藤田の絵の変遷が 良く分かった。

「おじいさんと孫」(1917年)という作品は、藤田が描いたにしては シンプルな禅画のような絵だと思った。

「五人の裸婦」(1923年)は、東京国立近代美術館で 見たことがあるから、見慣れた絵であるが、いつ見ても 見事な絵だと思った。音声ガイドを聞いたら、五感を表しているという。
そのことは知らなかった。

「エレーヌ・フランクの肖像」(1924年)は、彼女が父親の誕生日プレゼントに 安い画料で絵を注文したらしいが、藤田は 快く引き受けたという。そのことを父親が知って、その倍の値段で絵を買ったということが説明書きに書いてあった。藤田は 優しい人だったのかな。

また、藤田展ならではと思ったのは、「自画像」(1929年)の東京国立近代美術館の所蔵と名古屋市美術館の所蔵のものが2枚が 隣同士で展示してあったことである。
同じような絵であるが、違う所もあって、見比べてみた。

モンパルナスのキキの絵もあり、キキといえば、当時の画家が 何人も描いている人である。
意志の強そうな人のように見えた。

「藤田君代の肖像」(1950年)は、ランス美術館の所蔵で、美しい横顔であった。
これまで君代さんを描いた絵は 見たことが無かったので、貴重な絵のような気がした。

今回、ランス美術館の所蔵の絵は デッサンというのか鉛筆でさっと描いたような絵が多かったが、なかなかそういう絵も 良かった。

きちんと描いていた。

藤田の戦争画は 3枚展示され、「アッツ島玉砕」「ソロモン海域における米兵の末路」「サイパン島同胞臣節を全うす」であった。

藤田の戦争画は、以前、東京国立近代美術館で見たことがあったが、迫力がある絵で、生々しい感じがした。
藤田の戦争画は、150点くらいあるらしいが、3枚だけでも 凄い迫力で、戦争の悲惨さが良く表現されていると思う。目を背けたくなるくらいだ。

中南米に旅をした時の絵も展示され、藤田の画業を 網羅している展覧会であった。

最後のコーナーは、宗教画で、「聖母子」(1959年)、「十字架降架」(1959年)、「礼拝」(1962−63年)・・・・この絵は、フジタ本人、君代夫人が マリアを拝んでいる絵だった。

私は クリスチャンではないから分からないが、洗礼を受けてから描いた絵は、神に帰依するというのかそんな感じになっているのかな。と、思った。

人生の最後に チャペルを作ってランス市に寄贈するというのは、感謝の念やら友情の証というのかそういうものだったのだろうか。

講演会の最後に、質問する人がいて、「藤田の宗教画はどういう評価なのか?」と聞き、カトリーヌ氏は、「高く評価されているが、それほど人気はない。」と答えた。










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