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2016年01月31日21:54

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ピカソ天才の秘密・・・・学芸員の話と展覧会

今日は、午前11時から スライドトーク(学芸員による展示説明会)があり、聴いてきた。

まず、ピカソ展の「作品リスト・鑑賞リスト」の裏が 「すごろく」になっていることを言った。

「すごろく」にするなんて、誰が考えたのだろう?

ピカソの人生を 楽しく遊びながらたどることができるので、4人揃ったら、このすごろくで遊んでみたい。

それはともかく、この話をした学芸員は塩津氏だった。

この展覧会は、若い時代のピカソを紹介するもので、第1章 少年時代 1894−1901
第2章 青の時代 1901−1904  第3章 バラ色の時代 1905−1906
第4章 キュビスムとその後 1907−1920S

ピカソといえば、「アヴィニョンの娘たち」(1907)が有名で、その作品はニューヨークの近代美術館に所蔵されている。モダンアートの最初の作品と言われ、暴力的な雰囲気がある。
この絵で、「ピカソがピカソになった。」

ピカソ展は、世界の多くの場所で よく開催されるが、キュビスム前の青の時代を中心にした展覧会は 世界でも珍しいと聞いた。

愛知県美術館には、ピカソの「青い肩かけの女」(1902)があり、常設展で良く見かけるものである。
キュビスム前の青の時代の絵で、この絵は バルセロナで展示されたことがこれまで無かったが、去年 バロセロナのピカソ美術館で 展示されて、スペイン中で 取材され、話題になった。

そんなに凄い絵だったのか!と、改めて感じた。

私は、この「青い肩かけの女」は しょっちゅう観ていたので、そんな絵だとは思わなかった。

そういうわけで、今回の展覧会は バルセロナのピカソ美術館から5点借りている。

バルセロナのピカソ美術館には、私は 行ったことがあるので、このスライドトークで観た「科学と慈愛」の絵は 現地で観た。

「科学と慈愛」の絵は、ピカソが16歳で描いた絵であるが、病気や死を扱った重いテーマの絵である。

今回の展覧会では、「科学と慈愛」の習作が展示されていた。

さすがに、現物は貸してくれなかったんだ。

それよりも、私が ピカソで感動した14歳の時の作品で、「初聖体拝領」という絵が無かったのは残念である。

私がその絵を観たのは、東京の上野だったが、後にバルセロナまで観に行ったのは、もう何年前のことだったか。

あの時は貸してくれた絵だったに、今回は ダメだったのか。と、思った。

若い時のピカソの代表作は、「初聖体拝領」だろうと私は 思っている。

岡崎子ども美術博物館に所蔵されているピカソの素描が何点か展示されていて、それらはもう何度も観ているので、私にとっては 新鮮な感じはしなかった。

ピカソの父親が画家で、アカデミックな絵のテクニックは 既に14歳の時には 身に着けていた。

父親よりも絵が上手になってしまって、父が絵を描くのをやめてしまったという逸話があったり、ピカソが生まれて初めて しゃべった言葉が「鉛筆」だということなど、いろんな逸話があるらしい。

マドリードの王立アカデミーの学校に通っていたが、ほとんど学校で学ぶことがなくて、プラド美術館へ行って、ベラスケスの絵の模写をしたり、エルグレコ風の絵を描いたりした。

「四匹の猫」(クアトロ ガッッツ)というカフェのメニューの絵・・・・ロートレックの影響

1900年の「カンカン」・・・踊り子を描いている

この展覧会で、これまで観てこなかった珍しい絵があり、それは花を描いた絵だった。

1901年「キク」・・・フィラデルフィア美術館所蔵
1901年「ボタン」・・・ワシントン・ナショナル・ギャラリー所蔵

特に、「キク」は、花びらのうねるようなタッチ・・・ゴッホの影響、またセザンヌの影響もある。

岡崎市子ども美術博物館の所蔵の「女性頭部石膏像のデッサン」について、学芸員は ものすごく褒めていた。
















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