mixiユーザー(id:29290635)

2015年06月06日20:32

175 view

講演会 「ダブル・インパクト 明治 ニッポンの美」

それから、アン・ニシムラ・モース氏の話。

「すべてのアートは 現代美術だった」

一時的な流行、盛り上がり

「ダブル・インパクト」  19世紀後半の収蔵  当時は現代美術 制作された直後に購入

「日本美術はどうあるべきか」を議論 

ボストン美術館は、1876年に開館  
フィラデルフィア万博で 作品を買う権限を学芸員に与えて、購入したものが9点あった。

漆工芸の「寿老人」  絹の見本・・・美術産業の参考にする為。活性化をねらった。

フィラデルフィア万博は、6か月行われて、1000万人来場 日本の展示の規模が大きかった。
当時のお金で60万ドルを投資し、工芸品3万点出品

西郷隆盛の弟の西郷従道が開会式に出席した

展示 即売  着物を着て働く人々が目立った。

この時に購入した「葡萄蝶蒔絵硯箱」が 今回の展覧会で展示されている。

ジョン・シンガー・サージェント「エドワード・ダーリー・ボイト家の娘たち」
大きな花瓶が描かれている。

モース・・・動物学者 海洋生物を研究 帝大で進化論の講義をした。
 日本の建築に興味をもった。矢。 陶磁器に興味を持ち、窯元まで出かけて 買った。
 5000点のコレクションを ボストン美術館に寄贈
西洋の影響を心配し、日本の伝統的なものに悪影響を与えやしないか。
そのまま残しておきたい。外国人の趣味に合わせることを心配した。

高石重義「竜自在」・・・ニューヨークの人の寄贈  玄関に置いてあった。 竜の背中に乗って遊んだ。

ボストン美術館の日本コレクションを確立した4人の男たち

モース、ビゲロー、フェノロサ、岡倉天心

フェノロサ・・・1878年 帝大で政治哲学教えた。フィラデルフィア万博を観た。
黒田長知と知り合い、絵画を購入。
 
きちんとした鑑定を学ぶ。フェノロサが書いた鑑定書がある。狩野永探と名乗った。
フェノロサの家に 橋本雅邦の「弁天図」があった。

ビゲロー・・・医師  1882年来日 フェノロサの友人 作品購入を勧められた。
 芸術家を支援

岡倉天心・・・1887年 東京美術学校設立 1898年日本美術院
 西洋の良い所を取り入れ、新しい日本美術を確立しようとした

1904年 ボストンへ 大観・春草・六角を連れて行き、展示・即売
この時に購入したものが 展示されている。これらの絵には 裏打ちがないので、透明感のある絵らしい。

時間が 予定の時間よりも すでに20分もオーバーしていたので、最後に2人での対談が無くなってしまったのが 残念だった。

最後に早口で 小林永濯「道真天拝山祈祷之図」について古田氏が話した。

この絵は、綿布に 水溶性の顔料で描かれている。芝居の看板絵である可能性
絵の四隅に 丸い欠損があって、幟に掛けていたのかもしれない。

芝居は、明治16年 春木座で上演 落雷をマグネシウム発行器を使って表現した。


2 2

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する