最終的な悟りとは、何一つ体験する事無く、何一つ観測される事もない状態、という事は分かる。
つまり真空の状態。
そして今日ネットを見てたら、宇宙の話の中に、真空の相転移という言葉があった。
真空の基底状態から、何らかの原因により、その基底状態が変化し、物質場が励起する、みたいな。
つまり、何にも観測されない状態の真空から、物質場が発生するって事ですかね。
この逆を行こうってのが悟りなんですよ。
だから悟りと物理は矛盾しませんよ。
そして悟りという状態は、永遠ではないという事でもあります。
そもそも悟って外から観測出来ない状態には、時間が存在しませんから、
永遠という表現が正しいかどうかは分かりませんけどね。
悟り自体は完結してますけど、外からのエネルギーや情報に、
反応を示した時点で、また始まります。
悟りの修行というのは、真空の基底状態に戻る事を目指しているんですね。
ですから、反応しない、つまり、思わない、という事を訓練する訳です。
あなたは真空になりたいですか?
つまり、悟りとは、ほんのひとかけらの人にしか必要のないものです。
修行して、苦しみが減り、エネルギーが充填されれば、
違う目標を立てて進んでゆくのが普通でしょうから。
満たされない思い、満足出来ない、そういう物の始まりが、真空の相転移であり、
満たされた状態でありながら、その体験すらない状態が、真空の基底状態であり、
その基底状態が、悟りそのものです。
あなたは真空に興味がありませんか?
うちで修行したら真空になれますよ!
そこには天国も地獄もなく、なんの体験もありませんよ!
さあ頑張って修行しましょう!
これでは弟子や信者は集まらないでしょうね。
ですから、悟りとは、喜怒哀楽のテーマパークの出口なんです。
みんなは、このテーマパークが好きなんですよ。
何かに囚われ、苦しみ、出口を求めたとしても、苦しみが無くなればまた、
喜びや楽しみを求めます。
ディズニーランドでずーっと遊べるとしたら、みんな喜ぶでしょう。
でもいずれ飽きる時が来ます。
そうすると出口を求めるようになるでしょう。
それだと困る?人達や存在達が、新しい天国や地獄を創り出しますよね。
ですから人類は飽きる事無く、様々なイベントを体験する訳です。
それでもなお、出口を求める人にのみ、悟りへの道が開かれるのでしょう。
皆さんの目標が達成されますように。 では。
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