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2020年06月29日22:55

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世界遺産で守るべきは自然遺産だけ

■世界遺産候補選定見送り=今年度、新型コロナで―文化庁
(時事通信社 - 06月29日 18:00)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=6138483

今世界遺産に指定されている建造物で、その昔それを造った人たちが世界遺産に
指定されて喜んでいるだろうか?私は、おそらく喜んではいないと思う。

例を挙げよう。長崎のキリスト教会群。隠れキリスタンたちは、信仰を守り
明治の禁教令が解かれた後、爪に火をともすようにして教会堂を建てた。
それは何のためか。信仰を守る信者が安心して礼拝を守るためだ。
そして、それは代々受け継がれていって、信仰の広がりが長崎、及び全国に
広がる事を夢見たはずだ。イエスが世界宣教を宣言したように。
今、この教会群は信者はほとんどいないし、礼拝を守るものもいない。
あれだけ、弾圧されても命がけで守ってきた信仰も、近代化の波と過疎化には
いとも簡単に信仰が崩壊したのだ。そして、世界遺産の指定。
こんな事を、教会を建てた人たちが望んだいたはずはない。この状況を知ったら
悲しむに違いない。観光名所として建物だけを守るなど、望んでもいない事なのだ。

それだったら、信者が増えて、老朽化したら建て替えて、大きくして信仰の輪が
無限に広がっていくことこそ、先人の願いであり、祈りであったと思う。
世界遺産指定など、信仰にとって何の役にも立たない、無用の長物だ。

昔の形が今残っている。それはそれですばらしいが、古いものを金をかけて
守って、それが人々の生活に役に立たなければ、そんなものはいらない。
守るべきは、壊れたら二度と取り戻す事のできない自然だけだ。
人の作ったものなど、次々に新しくして、守るべくはその先人の精神であり、
魂ではないか?建物など、台風や地震で木っ端微塵だ。火事が起これば直ぐに丸焼け
になる。形あるものにこだわる、世界遺産など、私には何の価値もないと思う。

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