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2019年12月14日20:07

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(2015年)11/20〜11/23 きら☆りん木楽輪,JAMUSICA,のや

まだ私が道南にいた7月以前でしたが,この年(2015年),旭川のアーリータイムズでは,杉真理さんが村田陽一さんとライブをされていましたし,武川雅寛さんといらっしゃる筈が突然の一人旅となられた鈴木博文さんがおいでになったのも同時期でした。

いずれも高校生の頃の自分に教えてやったら驚天動地の事態だったと思いますが,吉良さんが旭川でライブをする日がくると知ったら驚くだろう自分は既に社会人です。

zabadakの新旧のアルバム,シングル,シアターコクーンでのライブビデオなどを毎日のように買い集め,POP IND’Sのインタビュー記事を読みふけったのは,東京の研修施設から戻った社会人3年目,結果的に1年で終わってしまった札幌での日々だったのでした。

2009年以降毎年恒例となった吉良さんと林太郎さんの御来道は,この年(2015年)は三連休に先立つ11月20日(金)の旭川木楽輪に始まり,21日(土)が富良野野良窯,22日(日)が西28丁目JAMUSICA,23日(祝)がのやというスケジュールでした。

21日(土)の野良窯だけ大阪からu-fullのyukaさんがいらっしゃるレアな1日だったのですが,私は滝川で祖母の法事があり,20日(金)の木楽輪の後は実家に宿泊の上,21日(土)は一家で旭川から滝川に向かい法事に出席することになっていました。

プログレナイトからまだ1週間,私には初ハンモックベースカフェの翌日でもありました。

木楽輪は18時30分開場,19時開演でした。9月末にシミュレートしたところでは,旭川駅からは徒歩10分少々というところでしたから,16時半の特急に乗れば旭川駅到着はほぼ18時,余裕をもって訪れることができます。余裕も見て15時から2時間の時間休を取得することにしました。

しかしながら,この頃の札幌の職場では突発事態が生じることが多く,この日も結局は休暇は無駄となり,定刻17時ピタが精一杯となりました。そこで17時半の特急に乗るべく急いだのですが,そういう時に限って気の焦りから先に来た反対方向への地下鉄に乗ってしまって余計に焦ったりしました。17時半の特急は旭川行きのカムイではなく,網走まで行く気動車オホーツクで,所要時間も少し長く,旭川駅到着は19時を回ります。

木楽輪到着は19時15分頃だったでしょうか。この時を皮切りに林太郎さんが木楽輪にいらっしゃった時には毎回サポートされることになる季里さんが受付してくださったのだと思います。


クリスタル橋ができて,旭川駅から徒歩十数分となってからは初めてでしたが,木楽輪自体には前の札幌在勤時代に2度ほど来たことがあって3年ぶりくらい。直近はあらさん,その前は季里さん健さん星さんのライブだったのでした。それらの時もそうだったと思いますが,今回のきら☆りんも完全生音です。

そろーりと入った時には林太郎さんがソロ演奏中でした。
きら☆りんのライブは,林太郎さんソロ,吉良さんソロ,きら☆りんによるzabadakナンバーという順で進行することが多いです。結果的に吉良さん最後の来道となってしまったこの時のツアーは,吉良さんやきら☆りんに洋楽のカバーが多かったことが特徴的でした。

当時書いたものによると,吉良さんソロのコーナーは,「水の踊り」以外はケイト・ブッシュやレノンの「イマジン」など全て洋楽のカバーだったようです。

洋楽のカバーが多かったからいけないということではないのでしょうが,きら☆りんライブ会場系知人のオトカワ氏には満足のいくものではなかったようで,のやで吉良さんに不満の旨をおっしゃっていたのを覚えています。

後半のきら☆りんコーナーでは,「鞦韆」(ぶらんこ)というレアな選曲がありました。これはアルバムには収録されていないシングルの方の「遠い音楽」のカップリング曲で,上野さんがお歌いになっていました。

事前にアナウンスがあったのだと思いますが,この曲の間奏部では東京方面から客席にいらっしゃっていた風部の皆さんがリコーダー等で活躍されていました。皆さんまだ1週間経っていない東京キネマ倶楽部のプログレナイトでもお見かけしたような方々ばかりでした。

木楽輪にはわざわざ富良野から野良窯の大槻さんもいらっしゃっていました。ぜひ明日の野良窯にもとおっしゃってくださったのですが,前述のように明日は祖母の法事なものでとお伝えしました。

レアな野良窯に行けなかったのは残念でしたが,祖母の法事は25年の節目でしたし,法事をずっと主催してきた滝川の伯父もその後亡くなりましたので,この時に参列できてよかったです。

法事の終了後,翌日の午前中は実家の雪かきなどした後,お昼過ぎ頃に出発してJRで札幌に戻り,一度当時の住まいにも立ち寄ったのだったと思います。

きら☆りん北海道ツアー3日目は,のやと並んでお二人の札幌での定番会場だったJAMUSICAでした。札幌では雪は積もっておらず,地下鉄駅までは自転車に乗りました。

これは我々にとっての定番だったのですが,当時琴似に住んでいたS氏と地下鉄西28丁目駅で待ち合わせし,つぼ八で腹ごしらえをしてから,二人でライブを鑑賞しました。2009年の北海道ツアーの札幌以外の全箇所を共にしたこともあるS氏ですが,その後も皆勤するほどではないものの,札幌ではJAMUSICAに付き合ってくれるケースが多かったです。

西28丁目駅のつぼ八は,私が北円山に住んでいた頃からずっとあって,離れてから思いがけず何度も利用することになったのですが,今はついに閉店したようです。吉良さんも亡くなられ,いろいろなことが変わってしまいました。

吉田夫妻のうち,この夜はエミさんがいらっしゃっていて,物販等のお手伝いをされていました。新作と思われる周期律表を模したクリアファイルが魅力的で,私もS氏も購入しました。

金曜日だった木楽輪と比べ,東京方面からのいつもの遠征組に加えて道内勢も増え,だいたいのお顔触れが揃っていたのではなかったかと思います。吉良さんが亡くなられた後は,北海道まではおいでにならなくなった方もあり,このツアーでお見かけしたのが今のところ最後という方もいらっしゃると思います。

この時ではなかったようですが,2009年の北海道ツアーの釧路会場で隣席となりノリノリだったことを覚えている方がJAMUSICAにいらっしゃっていたこともありました。終演後の林太郎さんとの会話がもれ聞こえたところによると,帯広在住の方だったようで,林太郎さんは,帯広近くのミュージシャンと一緒に来ることもあるから,帯広近辺に行くこともあるかもというようにおっしゃっていたようです。熊谷さんのことをそのようにおっしゃっていたからには,きりくまではないツアーの時だったのでしょう(この方とは,2017年秋のオオフジツボ北海道ツアー,2018年6月のトリニテ北海道ツアーの帯広会場で再びお見かけすることとなります。)。

のれん分け後,吉良さんは長いこと御自分がお作りになったzabadak曲しかお歌いになっていなかったのが,この頃には,上野さんが作って上野さんがお歌いになっていたタイプの曲もzabadakの貴重な財産に変わりはないのだから肩肘張らずに取り上げてみようという境地に至っておられました。

そうした曲の一つである「遠い国の友達」をJAMUSICAで聴いたことがあったと思うのですが,この時だったでしょうか。アイルランドでのミキシングで交流されたケヴィン・モロニーはじめとする方々との再会をテーマに上野さんがお作りになったのだとの説明があり,「友達」は「ともたち」と読まないと上野さんに怒られるといった補足もあったと思います(確かこの曲には坂上真清さんのハープも入っていて,アルバム『私は羊』を繰り返し聴いていた社会人三年生の私は,吉良さんばかりか坂上さんの演奏をもじかに聴く日が来るとは想像だにしなかったのでした。)。

木楽輪と共通する曲もありましたが,前日の野良窯を踏まえての変化も感じられました。
完全生音だった木楽輪と異なり,最後の「遠い音楽」の〆には近年の北海道ツアーで使用例の多かったループステーションが使われ,終わる筈のところでギターが倒れ,期せずしてもう1周ループしてからお開きとなりました。

連休最終日ののやには独り自転車で訪れました。
JAMUSICAでのエミさんに加え,この日は吉田御夫妻が揃って受付,物販等のスタッフを務めておられました。東京時代に訪れた2007年の宇宙のラジオツアーの時はどうだったでしょうか。北海道ツアーでは2009年以降毎年受付していただいていましたが,きちんと予約していたのは2012年だけで,後は予約客の入場終了後にそそくさと入れていただくパターンです。

この日は前年ののや同様に岡田浩安さんがゲストで参加されました。
ポリスター時代の1998年のアルバム『はちみつ白書』からの曲,岡田さんのオリジナル,そしてやはり欠かせないPolandなどを御一緒されました。

当時書いたものによると,「夢を見る方法」や「もっと近くに」での林太郎さんのハープに新味を感じたようにありますし,木楽輪JAMUSICAに比べ洋楽控えめで,アルバム『ひと』からの曲が多かったというようにもあります。でも他のツアーの時よりは洋楽のカバーがやはり多く,定番だったEasy Going〜We will rock youの流れがこの日もあったのではなかったかと思います。

前述のように,終演後にオトカワ氏が吉良さんにライブへの不満を訴えていたようで,オリジナルがいいわけ?といった吉良さんの声がもれ聞こえましたが,うまく言葉にできないようだったものの,そういう単純なお気持ちではなかったようです。私自身も,zabadakの数々の名曲で,このツアーでは聴けなかったものがあったことを惜しむような気持ちもあったことから,オトカワ氏に若干の共感もありました。

オトカワ氏は吉良さんに謝ってもおられましたが,吉良さんは,そういう率直な御意見はためになるとして,いや,どうもありがとうとも返答しておられたようでした。

帰り自転車で豊平川を渡るのはとても寒かったとはいえ,雪での苦労はなかったと思うのですが,翌日の千歳方面が11月の大雪で,吉良さんと林太郎さんはとても長い待ち時間を過ごされた…というのはこのツアーの時だったでしょうか。かなり遅くはなったようですが,その日のうちに帰着できたようで何よりでした。

この週は水木が苫小牧,金が室蘭へのそれぞれ日帰り出張で,土曜日にはたまみかずみとRose in the heatherで恵庭に行きましたから,4日連続千歳線に乗車する日々です。吉田夫妻とも1週間経たないうちにまたお顔を合わせます。
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