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mixiユーザー(id:28703480)

2019年12月16日06:03

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チキチータ

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「高利ついたレイク」
というスナップ作品だわーい(嬉しい顔)
これは「高利」と「氷」をかけて消費者金融を揶揄したダジャレ発想で撮られている。
まあ、ほのぼのローン。ほのぼのレイ◯るんるんとかいうけど現実っていうヤツはもっとタイトでソリッドだぜ( ̄ー ̄)っていうちょっとシニカルな表現だけどね。
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「クリスマスはdocomo」
というスナップ作品だわーい(嬉しい顔)
これは全体をクリスマストリコロール(緑、赤、白)で統一してクリスマス感を意識しながら「docomo」という借景を使ってる。

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この季節仕事から帰ってきて駐車場にいくと車のフロントガラスが凍り付いていることがあって、普通は車内のヒーターを効かして外側からガラスをガリガリと落として視界をクリアにするんだけど僕は何となくクリスマスのイルミネーションのようで綺麗だと感じるので多少残しておく。

さて、この3枚に共通するのは何か?
実は水なのだわーい(嬉しい顔)
氷や雪、或いは霜というのは水の一形態である。
白鳥が困っているのは水が凍り付いてしまいエサが獲れなくなり、河童というのは頭の皿に常に液体としての水を蓄えておく必要があり、またフロントガラスが凍り付いてしまっていては僕は運転ができないわーい(嬉しい顔)
そして通底しているのはまあ、些かイビツではあるが、流体としての僕のユーモアセンスだうれしい顔

夏あたりからずっと気にかかっていた「気配」ってやつがどうやら「液体の水」に起因することがわかってきた。

ハビタブル・ゾーンっていうのをご存知だろうか?

ハビタブル・ゾーンっていうのは恒星(太陽系の場合は太陽)から惑星までの距離で、生命の源である「水」が液体として存在できる領域の事だ。
地球はこのハビタブル・ゾーンにあり、地球上の生命っていうのはその組成の半分以上が液体としての水だわーい(嬉しい顔)

そして生きるということはこの液体としての水を保つ事だ。
凍りつくような寒い冬にあっては熱源となり、暖めながら・・・
茹だるような熱い夏にあっては気化した水分を補いながら・・・


先日いった北海道の札幌でイルミネーションの点灯式があった。
大通公園の割と近い宿に宿泊していた僕は・・・
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ホテルのデカいテレビモニターをお気に入りのサイバーショットでスナップしていた( ̄ー ̄)
その理由は寒かったからだ雪
まあ普段なら行ったのだろうが、疲れていたし少々風邪気味でもあったし・・・

その時の僕のハビタブル・ゾーン外だったのだ( ̄ー ̄)
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僕はシャワーを浴び液体としての水分を堪能したのだった。

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亘理のイルミネーションだわーい(嬉しい顔)
亘理というのは8年前の震災時の津波の塩害で海側はずっと悩まされていた。
緑がずっと育たなかったのだ。
故にこの緑のネオンの草原っていうのは砂漠の国の緑への情景、拘りと同じだ。

また、特産品であった苺も壊滅的な被害を受けた。
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そのネオンサインには深い意味があるわーい(嬉しい顔)
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人の設えには意味がある。
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光というものは粒であり波でもある。
ちょっとこのくだりは説明がめんどくさいので割愛させていただく。
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おそらく今年最後の大作であろう「ザ・リバー」という大作のコンセプトが「固」まった。
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水のいろいろな形態をスナップする。
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そして中心に据えるのは僕が台風19号の間ずっと折っていた千羽鶴だ。
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それを絵画のフレームからあふれ出すように配置する。
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氾濫する河川の見立てだ。
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高砂人形の翁名の箒は邪気や苦悩を取り払い、翁の熊では招福の意味があるという。
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愛とはいう字は「心」+「受」である。
ならば愛とは心の受け皿という見立てが出来る。
それは一定期間、心という流体を一つの形に留めることが出来る。
心とは移ろいゆくもの。それは液体であり、流体だ。
なぜならそれは液体の水を主成分とする生物の思考であるからだ。
故にそれは移ろいゆくし、雨のように降り注ぐのだわーい(嬉しい顔)
美しい水の惑星地球・・・愛そして生命に溢れた地球。

そして笑いというのもよく潤滑油といわれるのであるからきっと液体もしくはゲルやゾル状のものなのかもしれない。
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固体である紙ももともとは樹木であったりとか・・・また製品化してものち一定の水分があり・・・そしてそれを折る指先には汗が滲む。
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千羽鶴を一人で折ったのは今回が初めてだ。
年取ったせいもあるが指はすっかり水分が抜け切りカサカサになった。
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これらはブルース・スプリングスティ―ンの「ザ・リバー」という曲に因んで作られているんだが、それはエンヤの「オリノコ・フロウ」でも美空ひばりさんの「川の流れのように」でも何ら構わない。
その辺は「流」動的に( ̄ー ̄)
流行というように時代も時間も流体として移り変わっていく。
常に川はそこにあるけど、同じ水ではないのだわーい(嬉しい顔)
それでも世界は美しい。
それは液体としての水が大いに作用している。



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コメント

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年12月16日 23:10
    地球を遠い宇宙から見たら、 表面の半分以上には海が張り付いていて その上には水蒸気、雲があり また 海に繋がる沢山のラインには水が流れていて川と呼ばれ、、この惑星には沢山の生命が、体内に水を宿しながら生き、愛し、死ぬ事を繰り返している、、水のいろんな形態の写真は美しいし、氾濫する川を表す千羽鶴、高砂人形たちに宿る祈り、祝福のようなもの、、やはりそれは愛だと思えます。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年12月18日 06:43
    > mixiユーザー 千羽鶴って折紙の基本なんだけど、まともに作った事がなかったわーい(嬉しい顔)鶴の羽を波に見立てて、それらをうねらせて流体としての水を表現したんだ。龍体といった方がいいかもしれない。高砂人形はボランティアの見立てでもあるけど、住んでる住民のみんなでもある。愛という字は心+受けるなので、心の受け皿であるという見立ても出来る。それは移ろいゆく流体を留める力なんじゃないかなぁって考えているわーい(嬉しい顔)
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年12月19日 22:40
    一番最初のアヒルの写真を1枚目とすると、6枚目の「無数の魂」のようなお写真は魅力的です。宇宙的観点で日常を見るとこんな感じなんでしょうか?
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年12月19日 22:45
    15枚目の一条の光と海か湖の水面の輝きが周囲の暗さと対照的に輝いている。凄く幻想的です。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年12月19日 22:47
    16枚目も、現実に映る風景の儚さと言うか、意識モードが変化すればそれは消えてなくなりそうな狭い領域のようで、多次元化世界からこの三次元世界を見ているような感覚を覚えます。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年12月19日 22:50
    17枚目は、3人の男性が多次元世界からこの三次元世界で帰還するかのような画像。様々な心象風景が想像できます。楽しませて頂いています。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年12月20日 05:57
    > mixiユーザー アポロ9号の乗組員でラッセル・シュワイカートという人がいます。その方の言葉で「宇宙とは我々の外側全て。逆に宇宙から見ると我々はそのほんの一部」というのがあってそれが子供時代の座右の銘だった。宇宙というのはどこから始まるというと、僕の外皮の外側即ち皮膚の外側からすぐ始まっていて、もちろんその内側にもインナービジョンがある。すると水の惑星地球は生命と構造上相似している。そういう事を突き詰めていくと、この世界に自分に関係のないものは何もないんだ!という考えに至りました。何故なら僕も宇宙だからですわーい(嬉しい顔)
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年12月20日 06:11
    > mixiユーザー これは震災直後の福島県の松川浦という場所の海です。震災後僕は被災地を記録し始めるのですが、何をどう撮っていいか?わからなかった。報道やドキュメンタリーっていうのはあまりに恣意的で、一つの考えに寄せようとしていたし、また観光記念写真のようなものも嘘くさい。そこで僕は自分の美意識に従ってアートとしてアプローチする事にした。普遍性を持たせたかったんです。参考にしたのはナショナル・ジオ・グラフィックです。まあ、種明かしすればそんな感じなのですが、それがだんだんとオカルト的な解釈をされるようになったのが嫌になった。そんな時に思いついたのが、古典スナップ回帰です。ロベール・ドアノーやアンリ・カルティエ・ブレッソン。彼らはパリの街をイキイキと活写した。ならば被災地でもそれが出来るのではないか?そこは元々、街でありストリートがあった。そしてそこはまた新しい街として蘇るのだから。そんな具合に古典マナーのスナップに寄せ始めた。僕の写真って統一感がなくて節操なくスタイルを変えますが、一応自分の中では筋が通ってるんですよわーい(嬉しい顔)
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年12月20日 06:22
    > mixiユーザー いわゆるディメンションっていうのは非常にビジュアライズするのが難しい。観念的で抽象表現になってしまう。それは写真表現のエアポケットなんですよ。ただ僕はあくまでもそれを、そこにリアルにあるもので具象したいと考えていて、それこそが写真の醍醐味だと感じます。一方で次元論に関して、特にアセンションに関して高次をよしとするスピリチュアルの人達には懐疑的です。例えばそれは高層建築が必ずしもいいとは思わないからで、例えば平屋には平屋の良さがあると思うからです。被災地の今後の復興をアレコレと語るよりは目の前のガレキを一つでも片付けている作業員の方がよっぽど真実に近く尊いと感じ、近未来の人類滅亡を語る預言者よりは、今車に轢かれそうとしている猫を助ける方がアクチュアルに意味があると思うからですわーい(嬉しい顔)
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年12月20日 06:37
    > mixiユーザー 写真とはフルード(流体)をソリッド(固体)に換えるもので、それは実は次元論的にいうと3次元(立体)から2次元(平面)の変換なんです。そこには時間の要素もあるので4次元から2次元とも言える。ところが、その表現された平面っていうのは無数のレイヤーがあるので、鑑賞者の感覚でまた別の次元へと行ける。愛という言葉は受+心なので不定形な心を一定期間留める、愛は心の受け皿と解釈できる。写真は光や時間というやはり不定形なフルードを固化する。そんな意味でも愛のある写真を撮りたいと思いますわーい(嬉しい顔)

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