さて、後編である
夏くらいから僕は「気配」というものが気になりだしてずっと追い続けてきた。
それは何なのか?というと難しいのだけれど・・・例えば物性を持つ存在は一定の体積を持ちその分の体積を押しのけることになる。
すると、その押しのけられた体積が何らかの形で他に影響を与える・・・
即ち、それが気配なのではないか?
そしてそれはその存在亡き後も残り続けているのでは?
なんて仮説立てしてみるものの本当のところは未だにわからない
初夏の月命日に被災地でふと考えた
僕は毎月ここに祈りに来るが、考えてもみればたまたま同じ日に亡くなっているだけで、亡くなった友人知人の人生っていうのはそれぞれであり、僕との関わり方もそれぞれなのではないか?
纏めて月命日に祈るっていうのはちょっと大雑把すぎるのでは?
そこから僕の寺巡りははじまる。
亡くなった友人知人の眠る墓参りである。
初夏からお盆の時期にかけて愛車チエレスケ君という自転車で巡った。
だいたい僕の思いつきっていうのはどんどんと脱線していってしまうのではあるが、だんだんとお寺の持つアミューズメント性に惹かれていき・・・
目につくものを撮っている僕の写真はほぼ観光スナップのようになっていく
時には全く知らない人のお墓も気になり・・・
ああ・・・この人サッカー好きだったんだろうなあ・・・とか
そういえば死んだあいつはあそこの手打ちラーメン好きだったんあなんて思い出し立ち寄ったりした。
ただ一つ気づいたのは「気配」である。
それは確実に存在する。
ヤツはもうこの世にいないけど、ヤツがいた場所には確実にヤツの「気配」を感じる。
僕はその「気配」を手繰りシャッターを切り続けた。
それは被災地では感じた事のない感覚だった。
墓参りという名の観光を通じて僕は死者の「気配」と交感していたのだ。
存在無くしても「気配」はあるのだ
まあ、そんなこんなで・・・
夏にちょっとした冒険が2つあった。
一つ目は宮城、福島、茨城、埼玉、千葉、東京の6県を一日で巡る6県スナップ(正確には1都5県)である
それは僕の中ではロッケン(6県)ロール(巡回)スナップと勝手に呼称しているが・・・まあ、いつもの駄洒落発想は置いておいて・・・
ただ車の助手席で目につくもの撮ってただけではあるが・・・それでも例えば僕の中に断片としてある福島の問題がわずか一日の中で巡ってこれる範囲にあることを感じることができたのは収穫である
それは恰も思考のパズルのようなものだ。
どうしてもうまくはまり込まない1ピースが角度をかえてみたらピッタリとはまり込んだような快感を感じた
もう一つは夏のビーチリゾートである。
これはちょっとわかりづらいかも知れないけど、震災以降東北の太平洋側っていうのは夏場海水浴場がほとんど開いてない。
だんだんと変わってきたんだろうなあなんて事(気配)を感じた。
僕は8年ぶりに海水に頭まで浸かった。
そうこうしているうち消費税が10%となり秋になる。
平成の始まりに3%で導入されたそれは令和になって10%になった。
台風19号がやってきた。
ああ、そういう事か・・・
やけに馴れ馴れしいと感じていた野生はこれ(気配)を感じていたのか?・・・そしてヤツらはノアの箱舟のように他の種に呼びかけていたのではないか?
なんてちょっとオカルトっぽい事も考えた
出来るだけ命が助かる行動をとってください!その言葉は今も僕の頭の中に残っている。
そして僕はもう一度鮭君を撮ることになる。
それは旧約聖書のノアの箱舟から新約聖書キリストの復活までを擬えた大作にするつもりだった
台風の後、教会でやると知ってから僕の中でコンセプトが固まっていた。
まあスナップなのでそこまでの大作にはならないのだけれどマイミクのBブギーさんがきっちりとブックレットにまとめてくれた
甚大な被害を与えた台風19号・・・それは8年振りに復活した三陸リアス線を分断した。
初夏に僕が訪れてから数ヶ月後の出来事だ。
だけどリアス線は震災の大津波のあとバス輸送を行っていた。
鉄道とバス輸送の1チームである
今年も渡り鳥がやってきた。
やつらの飛行するフォーメーションは完璧な1チームだ
自然と街は1チームである。
破壊と創造それも1チームである。
喜びと悲しみも1チーム。
生と死も1チームである。
それらを繋いでいるのが「気配」なんじゃないか?
そんな事も考える。
長々と書いてしまった。
最後に2019の僕のスナップアワードはこれだ!!
光と色は1チームなのだ!
ホワイト・アウト
最後まで見てくれてありがとうございます。
1969年のサマー・オブ・ラブにこの曲はザ・フーのピート・タウンゼントプロデュースで生まれた。
僕が人生を通じて常に好きでい続ける名曲。
鈴木さえこさんのバージョンで
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