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2018年11月14日02:52

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幸せはここに

仏教に生死(しょうじ)という言葉があります。

人はこの世に生を受けて、そして死んでいく。

生死とは表裏一体のもの。

生きざまを考えるということは、

すなわち死にざまを考えること。

いつ死ぬか分からないから、今を大切にする。


朝に生きて、夕に死ぬ。

一日が生涯であると

説いています。


私はうなされるように


思い出すことがある。

小学校5年の夏のことだった。

寺の境内で野球をしていた。

三角ベース(一塁と二塁しかない)野球をしていた。


外野を守っていた僕は、相手チームの一番

スポーツセンスのいい

土屋君にグローブを渡し、攻撃にまわった。

いま僕がいた後ろの大きな石碑か突然倒れてきて、土屋君は下敷きになり即死した。

あの光景がいまでも忘れない。

生死は表裏一体。

僕だったかもしれない。

今でも石碑が恐くて
近づけない。

生と死は本当に隣り合わせなのです。

生きている今が

どれだけ幸せなのだろうか。

嫌なことも、辛いことも生きているから味わえるのだ。

生きているだけで

感謝しなくてはと思っている。

一休和尚の言葉に

『生まれ来て、その前生を知らざれば、死に行く先も、また知らぬなり』


『極楽は、西にあれども、東にも、来た(北)道探せば、皆身(南)にある』


自分が今いるその前のことすら知らないのに、これから後のことなど知らん。

真の幸せの世界は、東西南北のところにあるのではなく、

「ここ」にしかない。

過去や未来ではなく、現在ただ今と教えています。

どんな辛い苦しいと

感じている今でも


幸せなんだと


気づかされる

言葉だと思っています。


朝起きて、夕に死ぬ


明日は新しい一生が


待っています。



合掌
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