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2020年01月19日21:55

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壊れれば壊れるほどに、より胸に来る音楽・・・京響定期

これが聴きたかったんです、これが。

京都 京都コンサートホール大ホール
京響第641回定期演奏会(二日目)
ジョン・アクセルロッド指揮 京都市交響楽団
(コンサートマスター 泉原隆)
アンドレアス・ブラウ(フルート)
ベートーヴェン:「アテネの廃墟」op.113から序曲
バーンスタイン:「ハリル」独奏フルートと弦楽オーケストラ、打楽器のためのノクターン
ショスタコーヴィチ:交響曲第7番ハ長調「レニングラード」op.60

音楽ってなんなんだろう、と考えるとき・・・僕は、音楽家でもなければなんでもなく、単なる素人の愛好家、ディレッタントに過ぎない、でもいろいろ思うところはあって・・・確かに音楽は「音の芸術」であって、それは響きの美であったり、対位法的文様の見事さであったり、リズム構造の精緻さであったりする。そのそれぞれに胸動かされるのはもちろんだけれど、その先に立ち現れる人間の情緒への訴えかけがそれ以上の魅力である、そのことは言うまでもない。

ただ、その情緒というものが、どういうものか・・・多くの音楽においては、それは愛であったり、慰めであったり、憧れであったりするのだと思う。聞き手が、音楽にそれを求めるがゆえに、音楽は宗教へと繋がりもするし、娯楽として成立もする。

だが、その情緒が「怒り」であることは少ない。というより、「怒り」というネガティブな感情に、普通は人は近寄ろうと思わない。にもかかわらず・・・・この「レニングラード」の中にあるのは、強烈な「怒り」だ。

だから・・・・整った演奏なんて、くそくらえ、なんだ。

今日の1楽章、「ちちんぷいぷい」の行きつく先、短調に転調してから3台のスネアが怒涛の連打を続ける中、舞台上ブラス、バンダ、オケ本体が軋みをあげて崩れながら胴体着陸を試みる壮絶な展開。そこには、爆風のなか、右も左もわからない中でただただ逃げ惑う民衆の幻影が立ち上がる。そこには、ただただ「怒り」しかない。

3楽章の祈りを経て、4楽章、戦車のキャタピラに踏みつぶされる命、炸裂する弾薬に吹き飛ばされる肉片、にもかかわらず大声で繰り返される政治的スローガン・・・大団円と絶望の両方が同時に鳴り響く中で絶叫されるのは、「いい加減にしてくれ!!」という「怒り」の声、無数の民衆の声、心の底から絞り出すような声。

昨日もこんな演奏だったら、逆に今日聴きにこようとは思わなかったかもしれない。それほどの「音楽」(全然楽しくない、なのに、感動するなんて!)を鳴らした、京響とアクセルロッドに脱帽。


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