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2019年05月16日23:59

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センチュリーの定期って、本来こういうものだったんだ・・・・センチュリー定期

今日の演奏を聴いて、高関時代にこのオケを聴きに来ておけばよかった、としみじみ思いました。

大阪 ザ・シンフォニーホール
センチュリー第235回定期演奏会
高関 健指揮 日本センチュリー交響楽団
(コンサートマスター 後藤 龍伸)
ヴァイオリン独奏 竹澤 恭子
藤倉大:シークレット・フォレスト
バーバー:ヴァイオリン協奏曲 作品14
ドヴォルザーク:交響曲第6番 ニ長調 作品60 B.112

高関さんがこのオケの常任だったのは、2003年まで。ぐすたふくんがコンサートゴーアーを始めたまさにその年だったのだけれど、そのころはセンチュリーのシーズンは9月はじまり7月終わりだったので、かすりもしなかったんですよね。それで、小泉さんが常任になったときから、僕はこのオケの演奏会に来始めた、という次第。

で、高関さん時代のセンチュリーは2管10型の可能性を極限まで追求したプログラミング(よくぞここまで、というものだった、といううわさは聞きましたが)で鳴らしていて、今日のプログラムはまさにそのころを彷彿とさせるようなラインアップ。

偶然だが、今日の三曲はみんなぐすたふくんにとって二回目の実演となる曲ばかり。藤倉作品は、下野・いずみシンフォニエッタで大阪初演を作曲家同席のもとで聞いたし、バーバーは奇しくもコンサートゴーアー初年度に今日と同じ竹澤さんで大植・大フィルとで聞いている。ドヴォルザークに至っては、結婚前にこすもすと、がらがらの大阪国際フェスティバルでヴィエロフラーベク指揮プラハ交響楽団で聞いて以来。

今日の演奏は、それぞれの曲で、僕の記憶とは全く違う印象と感興をもたらしてくれる新鮮なもの・・・・丁寧に細部まで練習された、さすがは庭師高関、という仕上がり。こんな演奏を連綿とやってたんだと思うと、知らなくって損した気分になりますな。

シークレットフォレストは、残念ながらシンフォニーホールには向かない曲だな、と思いました。ちょっと空間が大きすぎる。舞台上の小編成弦楽器の響きと、客席に散った管楽器の響きとのあいだに、若干の隙間が感じられてしまうし、レインスティックの響きも観客に降り注ぐには至らないもどかしさがつのる。これは、初演を体験してしまったが故の贅沢な感想かもしれないけれど。

バーバーは、初めて竹澤恭子というヴァイオリニストを知った曲でもあったのだが、やはりこの曲は竹澤さんの「持ち曲」だなあ、という感を強く持ちました。爛熟のロマンティシズムから、人を食ったようなモダンさまでの振れ幅を、肉厚の音色で弾き切って見事。高関さんのつけも、ヴァイオリンを邪魔しないように絶妙のコントロール。センチュリーもまた、各奏者の名技性をいかんなく発揮して聴きごたえ十分。特に、二楽章オーボエソロの素晴らしいこと!

そして、メインのドヴォ6は、心憎いばかりのアゴーギク。ひとくさりのフレージングを十分に歌わせたかと思えば、さっとさりげなくテンポを上げて追い込んでいく、などなど、感心することしきり。聴きものだったのは、3楽章フリアント。ティンパニのリズムとオケのリズムが軋むように絡むところを、なんの破綻も見せずにかちっとやってのけるのには、さすがはセンチュリーと思いましたねえ。ただ、欲をいうなら、四楽章コーダを、崩壊をおそれずにもう一鞭入れてほしかったところではありますが・・・それは、高関・センチュリーの目指すところではない、ということなんでしょうな。

今日の演奏を聴いてしまうと、ぜひまたもう一度、と思ってしまうのが人情。30周年だから、ではなく、またこのコンビでの演奏、ぐすたふくんは心から所望します。



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