前シーズンにいい成績をおさめたチームの開幕が低調になるのはリーグの常とはいえ、現在のチェルシーほどの低パフォは想像していなかった。とくに守備の崩壊。攻撃の構築にやや苦手な印象のあるモウリーニョでも、キャリアを通じて守備組織だけはつねに計算で
2001年に桐生市で開催されたビートルズのトリビュートバンドによるライブ。その終了後に立ち寄った文真堂で立ち読みしたのが『ノルウェイの森』との出会い。死ぬまでにあの文真堂にもう一度行ってみたいけど、県内的に閉店が相次いでいるので心配。まぁ『
I'll be the round about(僕はラウンドアバウトになってぐるぐる回る) The words will make you out 'n' out(言葉がきみを完璧にするんだ) You change the day your way(きみは自分のやり方で一日を過ごすのさ) Call it morning driving through the so
発達障害の子供を特集した番組の再放送をみて気づいたこと。ある少年が考え事をしているときに手をお祈りさせるようなポーズのままやたら手首をクネクネとさせていた。アスペルガーの特性から考えるに、おそらく考えをまとめるために苦労するので、無意識の間
大士メモ。人間集団のアイデンティティを形作る三大要素は「食」「音楽(踊り含む)」「言語」。梅棹忠夫先生が提唱された人類の発展の仕方とは受精卵がヒトへと至る過程と同じという説、消化器官(農耕・牧畜)→骨・筋肉(産業革命)→頭脳(メディア・イン
今日の司馬遼太郎観察。「フェリーぺ二世の小説を書いてみたかったがスペイン語がわからないので断念した」…とな。あらためて振り返ってみたらエッセイや紀行文はともかく、この人が書く小説の主人公って日本人以外はほとんどモンゴル人か中国人で、彼が学生
村上龍の『ラブ&ポップ』という小説は援助交際をする女子高生を魅力的にえがく、ある意味けしからんものではあるんだけど、いくつか納得できる心情はある。そのひとつは、主人公が宝石を買うお金を工面するため援助交際しようと決心する場面で「今、正直に行
グンマ―のガンジスこと利根川で瞑想しながらふと思ってしまったこと。そういえば京都のほうでは処刑で使われた河原があったなぁ…なんてさ。死の間際の石田三成は川のせせらぎを聞きながら何に思いをはせていたのだろう。いやいや別に自殺願望なんてないんだ
チェルシー対アーセナルのビッグロンドンダービー鑑賞終了。敵ながらアーセナルの小気味いいパスサッカーは見ていても気持ちいい。強い弱い関係なく、監督の顔が見えるサッカーはいいね。
そこには正義がいる。そこには悪がいる。そこには物語がある。…と、そんな簡単な図式じゃないんだけど、我々の脳はこういう楽をすぐにしたがる。クリアな人物はおろか物語にすらならないという冷厳な事実にどれだけ誠実に向き合えるか――
お久しぶりのBBQにて、ティラノザウルスよろしく肉に喰らいいてますたby前橋三河町。相変わらずの空っ風にて、もう少しで赤壁の二の舞になりそうですたよ。会費は1000円だったけど、たぶん3000円分ぐらいは食べたと思うので、もうしばらく肉はい
やっぱりアメリカっていう国は好き。悲しいかな、文化っていうものは金銭的な余剰がその多様性を保証する。大阪の釜ヶ崎やアフリカのような後進国から生まれるそれも文化の一つとしての魅力はあるんだけど、それもしょせんは僕が豊かさの海に浸っているから憧
2000日連続でmixi日記を書く暇人とは誰のことだ。色々なことがあったけど、とりあえずmixiがここまで落ちぶれるとは思わなかったゾ。一世を風靡したコンテンツの死に水を取るのはワイや。某君が代さんは千代に八千代に続くらしいのですが、mixiの命運はい
岡田斗司夫さんの新刊を立ち読みするために、普段は滅多に立ち入らない自己啓発本コーナーへ。せっかくなのでその他のこういう系統の本を立ち読みしてみてわかったこと。書いていること自体はとても普遍的なことです。「人に暴力を振るうことは素敵なことだ。
大士メモ。週刊朝日 9月19日(土)ヤンマガ 9月19日(木)スピリッツ 9月28日(月)プレイボーイ 9月28日(月)SPA 9月29日(火)祝日を挟むと週刊誌の発売日が変則的になるので、なかなか覚えきれないなり。
ホストの勧誘とかされてみたいなぁ。無理だろうけど。ユニセフとかがそういう慈善活動で僕の気分をよくしてくれないものだろうか。
自宅にて何の脈略もなく右耳から耳鳴り。こういうケースって霊感的にヤバい現象だと聞いたんだけど大丈夫かなぁ。座敷童子が部屋にいるなら大歓迎なのだが。
村上春樹のエッセイ「職業としての小説家」読了。一言でいうと鬼面人を驚かさず――。奇をてらって読者をビックリさせようというスケベ根性がないPLAINな内容で、時の試練に耐えてずっと残る文章の見本ですわ。小説自体は僕の好みとは違うんだけど、エッ
育ってきた環境が違うから好き嫌いは否めない。昨日の日記で絆という言葉が嫌いと書いたけど、それはしょせん僕の視座から見た意見であって、突っ込みどころがあるのも自覚しています。日本という国が強烈な原理をもつ一神教を必要としないですんだ理由のひと
皮肉なことにマイノリティを虐めることでさえ集団の連帯感を高めるんだよ。僕は絆という言葉が大嫌い。いつだって迫害されるマイノリティの側に寄り添っていたい。半径2Mの世界で闘い続けてやる。
ここ数日、右手の小指と薬指がジンジンと痺れていて、おそるおそるネットで調べてみたところ、寝相が悪くて肘を圧迫したことが原因だとわかった。サガットステージのブッダよろしく涅槃のポーズをするのはあまりよくないんだろうなぁ。
「無人島に一冊だけ持っていくなら」というお話しはあまり知的なものでもないけれど、あえて考えてみるに司馬遼太郎の『アメリカ素描』が一番バランスが取れていて何度も楽しめるかなぁ。
「インド人には歴史がない。なぜなら大きな哲学のなかに生きていれば○○年に××がおこったなどという現象は些末なことだから」…という意見を読んでなかなか興味深かった。誇り高きインド人とはいえ実際には皆がそこまで意識高い系のままこの生臭い世を生き
人によりけりなんだけど、話しをするときには自分のことを頭が良い好青年だと思い込まないと光彩を欠くな。聞く側にとってもおどおどした後ろめたい奴なんてまっぴらだろう。I`m sorry, don't call me barbarian.I think I'm special one.
ふと思ったけど、僕は喪女に出会ったことがないなぁ。我が人生において最低ランクに属するのはぶっちぎりでブス山さんだけど、あれにしてもバンギャをやっているということから察するに人生をそれなりに謳歌している。モテない女を喪女というらしいけど、逆に
手羽先やフライドチキンを食べた後に残る骨って、何か再利用できないものかなぁ。100g100円以下だったのでこれはお得と思い購入してみれば、骨だらけだったそれに騙された気持ちを吾輩はどこへぶつければ…。ちなみにフライドチキンっていうのはアメリ
今週一週間、雨続きなのはまだ我慢できるとして、来週一週間も雨とはしつこすぎるだろう…。晴耕雨読の日々になぞらえるのならば、荒俣宏なみに読書せざるをえないではないですか。ところでこの故事成語の元となる日々を過ごした諸葛亮孔明が住んでいた荊州も
たいして勉強していないはずなのに、頭を酷使したあと特有の頭部の痛み。僕はいったいどこへ向かっているのでせう。とりあえず、難しい本を読むのはやめ、身体を動かし感性を大切にします。
旅券の不携帯が罪になるとか、同性間の買春は罪にならないとか、世の中には僕がまだまだ知らないことがたくさんあるなぁ。
NHK出版から発売されたクリストファー・マクドゥーガルの『ナチュラル・ボーン・ヒーローズ』http://honz.jp/articles/-/41765を立ち読みしたいなぁ。神話部分の解釈は忍者の実態と同じで確かめようがないけど、身体の動きの実践部分は学べるものがあるかもし