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2019年04月19日19:54

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バベル


「バベル」観ました。二度目です。
映画に、ほんの少しだけど、教授こと、坂本龍一の音楽が使われている、というので、確か6〜7年前かな?最初に観たの。
監督はアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥで、この人、教授デビューの頃からのファン、ということで、劇中曲として、「美貌の青空」を使ってました。
最後近くで少し聞けるだけ、だけど。
この話はちょっと変わってて、主役、というのがいません。
ブラッド・ピット、ケイト・ブランシェット、アドリアナ・バラッザ、役所広司、菊地凛子、二階堂智、等々。
全員、助演男優、助演女優と書かれてます。
音楽グスターボ・サンタオラヤ、脚本ギレルモ・アリアガ。
これすごいです。
アカデミー賞6部門にノミネート、そしてオリジナルスコア―賞(音楽賞)を受賞。菊地凛子さんとアドリアナ・バラッザさんは助演女優賞にノミネート!日本人の女優では初めてじゃない?
ゴールデングローブ賞にも6部門ノミネート。作品賞を受賞。
ここでは二人の上記女優と、ブラピがノミネートされてる。
2006年カンヌ国際映画祭のコンペティション部門で上映され、監督賞を受賞。菊地凛子が米映画批評会議賞新人女優賞を受賞。
まだまだあって、全部で20くらいの映画祭でノミネートや受賞を果たしてます。
菊地凛子さんは、この映画で初めて観る女優だったけど、鮮烈な印象を受けました。
でも、たまきにとっては、この映画で最も印象に残ったのは音楽と、ブラピだったんです。
教授の「美貌の青空」は、この映画に合ってるのかな?という疑問はあったけど、映画にこの曲が出るだけで嬉しかったし、それより、アフリカだか、中東だかわからないけど、エキゾティックな音楽が強く印象に残ったのです。

最初に観た時、確かたまきはこのサイトの日記に「まるで麻薬のような音楽」と書いた、と思うんですけど。

それで、今回もそれを期待してたのです。
あの不思議な、幻想的な音楽がまた聴ける、と思って。
でも驚いたことに、今回はそれが聞こえなかったんですよ。
あんまり不思議なので、ツタヤに返却してから、もう一度借りに行こうか?と思ったのだけど、もう少し間をおいてからにしよう、と思い直しました。
こういうことってあるの?
いろんな音楽は劇中に流れるけど、たまきが心惹かれたあの神秘的な曲(2曲くらいかな?)は、消滅してた・・・ミステリー!

あと、いろんなシーンも、ずいぶん最初の印象と違ってて、「これ、編集して変えてない?」と思うことが、度々あります。
この映画に限らず。
人間の記憶力がそれだけ曖昧だ、ということなのか、実際にDVDに
後から手を加える、ということがあるのか?(これは考えづらい)
全ては謎です。

ブラピが強く印象に残ったのは、どこから見ても立派な、世の中で成功していい暮らしをしてる大丈夫がーつまり心身ともに頑丈そうな自信に満ちた大の男が、家族を失うかもしれない、という危機に合って見せる、少年のようなひたむきさ、というものでした。
恥も外聞もなく、助けを求めてモロッコの村を走る姿には、素直に感動した。
そして、考えられる限りの、最善の行動をしてる、彼は。
あれだけの極限状況の中でも、冷静さは失ってないのですね。

これはそのまま、ブラピの本質に近いのではないか?
という印象を持ったのです。
この人は、こういう、誠実でひたむきな男を演じると、ほとんど
地で演れる、という感じ。
悪人を演じるのは無理だろうな、と思った。
トム・ハンクスと同じで。
そしてそれでいいのだ、と思います。
無理して、自分の中にない、「悪」の部分を引っ張り出して演じてみよう、としても、グレゴリー・ペックみたいに、失敗するかもしれない。彼も悪人を演じるのは無理だった。

少年らしさを残した、たくましい、愛情深い男。
いいなぁ・・・この人の奥さんになる人は幸せだ。。。

前置きが長くなりましたが、この映画は旧約聖書の創世記にある、「バベルの塔」から引用したタイトルがついてますね。

*「バベル」は創世記第11章にある町の名。町の人々は天まで届くバベルの塔を建てようとしたが神はそれを快く思わず、人々に別々の言葉を話させるようにした。その結果人々は統制がとれずばらばらになり、全世界に散っていった。

と、Wikiにあります。
「バベルの塔」に関する記述も読んでみたのですが、人間が「天にまで届くような」塔を建てる、ということは神に対する挑発であり、神はそれを快く思わなかった。
なので人々に別々の言葉を話すようにし、人々は混乱して塔の建設を途中で止めて、世界各地に散らばっていった、というようなことが書かれてます。
神vs人間の闘いのようでもあるけど、ここで肝なのは、人間を強くしているのは、「結束力」であり、それを実現する為には、同じ言語を話すことが不可欠なのだ、とこの書が書かれた当時から、人々は考えていた、ということですね。
面白いです。

たまきは最近、他の動物よりもあらゆる点で劣っていた人類が、何故サバイバルできて、これほどまでに繁栄しているのか?ということに興味を持って、いろいろ考えていたんです。
空も飛べない、強い爪や牙、速く走る強い足・・・何も持たない人間にできたことは、チームを作って、力を合わせて事に当たる、ということだった、と思うのです。
役割を決め、それぞれがきちんと役割を果たす。
その為には、コミュニケーションというものが、不可欠だったわけですね。
人類が、他の動物とかけ離れた優れた能力を発揮できたのは、このコミュニケーションの能力だ、と思います。
群れは他の動物だって作るけど、意志の疎通はごく大雑把なわけでしょ?
人間ほど、細やかに意志を伝えあう能力は、他の動物にはない。
まさに「神が恐れ、嫉妬し、それを防ぐ、邪魔する対策を取らねばならない」ほどの力、となった。

ところで、この映画のテーマは、危機感を感じた神の策略により、互いに言葉が通じなくなった現在社会、ということに焦点を当ててるのかな?
とたまきは思いました。
統一した言語を持たない危うさ、ということに警鐘を鳴らしている、と。

舞台はモロッコ、メキシコ、アメリカ、そして日本です。
特に、日本での主人公が、耳の聞こえない女の子、というのが、象徴的です。
たまきは実は、最初に観た時はこのことに気付かなかった。
聴覚障害があり、「音のない世界」に住む人を何故この物語に出したのか?という重要なことに。

話の構成が抜群です。
イニャリトゥ監督と、シナリオ担当のギレルモ・アリアガの発想なのでしょうか?
4か国のまったく無関係の人達が、一丁の銃で微妙につながっていく。
そして、それぞれが違う言語を持っている。
地球をほぼ一周する広範囲に渡って、話が展開していくのです。

最初はモロッコ。
貧しい、遊牧民の家族。その父親が、知り合いから一丁の銃を購入する。
二人の10歳前後の彼の子供達がそれを渡される。
彼らの山羊を襲うジャッカルを退治せよ、と父親に命じられて。
悲劇の始まり。
ここが、4か所の人々が次々と巻き込まれていく、不幸の始まり、
と言えるのかな?
それにしてもこの父親は、不注意過ぎた。
まだ幼い子供達に、銃の扱い方もろくに教えず、こういった凶器の扱い方、使用していい場所、時、標的などの、常識的な教育一切なしに、あっけらかん、と無造作に預けるなんて。

子供が練習中に、銃弾が人に当たってしまって、致命傷を負わせて、被害者がアメリカ人だった為に、国際的な緊張を生み、生死の境目にいる人を救助に向かうこともできず・・・
この国はアラブ国で、テロリストの国だから、子供の撃った弾がアメリカ人に当たるとテロだ!とばかりに国際問題にまで発展する・・・いやいや、平和な日本に住んでると、想像もつかないような話ですね。

それと、この国には大きな問題がある、とたまきは感じた。
父親は子供に居丈高に権威と暴力を振るうし、警察は単なる事件の参考人に尋問する際に暴力を振るうし。
父親にしても警察にしても、人を一人前の人格と認めて理の通った接し方、というのを知らないのか?
何よりも、警察が参考人を犯人扱いで、拷問に近い尋問の仕方をするなんて、恐ろしい国だ。
だからあの子たちは、単なる事故から、まさに悪夢の末路へ、と
突っ走ってしまう。警察を恐れてるから。
それを先導したのは父親だし、この愚かな父親を生んだのは、警察に対する不信感でしょ?
逃げなくていいんだ!
単なる事故だった。自首してそれをきちんと説明するだけでよかったのに!と、腹立たしいより情けなかった。
国選弁護士を頼んで、ちゃんとした手順を踏めば、子供なんだから少年院にちょっと入るくらいで済むんじゃないの?
と思ったけど、それは日本のようなきちんとした法治国家に住む人の考えなのかな?
あの警察はクレージーで、確かに恐ろしいわ。
自首する勇気もわかないかも。
だけどほんとに冗談みたいな何でもないことから、こうまで大きな悲劇を生むとは。

モロッコの警察に一言言いたい(日本語だから読めないか・・
「”バベル”現象」だ)。
一般市民に証言の協力を仰ぐ時、例えそれが銃所持者の、重要参考人だからって、答える度に殴ったりしたら、本当のことを言うと殴られるから、暴力を避ける為に嘘の証言をしてしまう、という危険性があります。
尋問する際に人を殴るのは止めてください。

親子で逃走中に警察に包囲され、それでも逃げようとしたからといって、あんな子供に警察が発砲するなんて信じられない。
拡声器で、「あなた方は包囲されています。無駄な抵抗は止めて、速やかに銃を捨てて投降しなさい」と呼びかけるだけでよかったのに。
(日本ではこういうの、刑事ドラマの定番だから実際そうするのでしょうね)

そしてモロッコのもう一組の人達が、この地に旅行に来ていたアメリカ人夫妻、リチャード・ジョーンズ(ブラピ)とその妻スーザン(ケイト・ブランシェット)です。
上記の子供の撃った弾は、妻のスーザンに当たったのでした!
モロッコという国が国だから、アメリカ政府はたちまち、「すわ、テロか!?」と勘繰り、「テロとの関連が疑われる」なんて発表したもんだから、両国の関係に一気に緊張が高まりました。
挙句、モロッコ政府は、救助に駆け付けるヘリを、モロッコ上空の飛行を禁止。
スーザンは生死の境にあり、一刻を争う処置が必要なのに、助けがない。
ちょうどその辺りは小さな村で、医者というものがいません。
大きな町まで行かなきゃならないけど、何時間もかかる場所です。
もう夫のリチャードは、気も狂わんばかりに焦るのだけど、国際間の問題がある為に、どうにもならない。

夫婦には子供が二人いて、3番目の子供が生まれて間もなく、不幸にも死亡。それが元で、スーザンは夫と自分を責め、二人の関係は深刻な不和状態になっているのです。
二人の良好な関係を何とか回復しよう、として、リチャードは妻を旅行に連れ出したのです。
それが何でアフリカ旅行ってことになるんだ?
と思うけど(妻の方はそうですよ。どうしてこんな、安全な水もないとこに私を連れてきたの?と怒ってる。)、その意味では、
映画「シェルタリング・スカイ」を思い出した、たまきは。
やはり、とても愛し合ってはいるんだけど、初期の頃のような無邪気な?純粋な愛の形を失った、と感じた愛情深い夫がそれを取り戻そうとして、アフリカに妻を連れてやってきて、そこで命を落とす話です。

ここですでに数組の「気持ちの通じ合わない人々」が登場してる。
最初の親子。親子とモロッコ警察。モロッコ政府とアメリカ合衆国政府。
そしてこの夫婦。
最後には日本の父子も出てきます。やはり関係がうまくいっていないのです。
こうした、言語だけではなく、「心が通じ合わない」というのが映画のテーマです。
コミュニケーションが、イマイチうまくいってない関係。
この話では、それが大きな悲劇を生んでるのです。

次、アメリカーメキシコ。
この2国は地理的にも近いし、車で行き来できるし、で、ほぼ一緒の扱い。
リチャード夫妻の自宅に、男の子と女の子の二人が、メキシコ人のベビーシッター、アメリア(不法就労者です、この人)に面倒を見てもらってます。
夫妻がモロッコ旅行から予定通り帰れない、という連絡を受ける。(妻の事件については、子供に知らせないように、とアメリアは言われる)
彼女は息子の結婚式で、メキシコに帰る予定だったので、替わりのベビーシッターを探すが見つからないので、子供達をメキシコに同伴します。
悲劇はその帰り、アメリカに帰国途中、起こる。
アメリアの甥が、飲酒運転で彼らを送ろう、なんてしたのがいけなかった。
これもほんとに、避けられるはずの、ちょっとした言葉の行き違いや、不用意な行動が、大きな問題に発展してる。
国境沿いの検問所?
そこで働いてる人達も、ずいぶん乱暴な、大雑把な仕事をする人達で、日本に住んでる私達には、ちょっと考えられないな・・・とたまきは感じた。
それに反応するメキシコ人もちょっと・・・もう少し慎重にならなきゃ、と思ったけど。

次、日本。
ろうあ学校?の女子高校生達と、それなりに楽しくやってる千恵子。とその父の話。
さて。
モロッコの子供が所持していた銃ーースーザンを撃った銃は、どこから来たのでしょう?モロッコの警察が、犯人特定に必死で聞きまわり、参考人に暴力を振るって探し回っていた、所持者。
それは、この父親です!
彼がモロッコに旅した時、少年達の近所の観光ガイドを務めた人に、タダであげたの。
それを、ガイドさん、少年達の父親に売ったのです。
これで4か国の無関係の人達が「銃つながり」でつながった。

実は千恵子のお母さんは、最近、銃で自殺した、ということがあって、そのせいかな?父親はアフリカで銃を手放した。
この夫婦も「心が通じてない」人達だった。
その後、父子二人きりになってしまってからも、二人は気持ちがまったく通じ合ってないのです。
父親はお金持ち、仕事で成功した人で、とても忙しく、聴覚障害の娘の扱いがまったくわからず、お手上げ状態。
娘はその為、聴覚障害から来る疎外感が膨らむばかりなのですね。
この話に出てくる人達は、全員善意の人達で、ただ、とても不器用なんですね。
うまく人との関係を作れない。
そしてそれが、思わぬ不幸へ、と発展していく、という話。
状況は変われど、全ての人に共通する物語なんですよ。
仕事が忙しかったりしてちゃんとしたコミュニケーションがとれていない。
少しばかり不注意なことをする。

それだけのことなんだけど、放っておいたばかりに、何かの拍子に、大きな悲劇へ、と発展していく、という。
母親の自殺も原因はこれなのでしょうね。
それが更に、この父子に大きな影を落として、問題を深刻にしてる。

たまきはこの映画の最後に、「耳が聞こえないって、どんな感じだろう?」と、想像してみたのです。
でもちょっと怖くなって、1分と続けられなかった。

千恵子は、聴覚障害から来る疎外感・・・自分が、世界の外側にいる。周囲の全ての人達の中に自分だけが入ってない、と感じてるんですね。
そして常に、無意識のうちに、その突破口を探し求めているんですよ。
世界とつながりたい、自分も世界の人達の一人でいたい、その実感が欲しい、という無意識の気持ちがあって、でもそれをうまく
言葉にできないし、はっきりと自覚してもいないのね。
それが、ああいう、片っ端から男に迫る、という奇妙な行動に駆り立ててるわけ。
そう思った。
菊地凛子は、それをとても魅力的に演じていました。
「おー・・・・なんか、白人女に奪われっぱなしのセクシー可愛い系が、日本にもいるじゃん」と思って嬉しかったですよ。
彼女のクラスメート達も、皆ろうあだけど、元気いっぱいで生き生きとして、魅力的。可愛い。
世界中の男達は、白人の女が一番綺麗で魅力的、セクシーだ、と思ってない?
でもこういう女子高生達には、白人女にない、「少女」っぽい魅力があって、「イケる。これなら世界に出ていける」とたまきは感じた。つまり、世界中の男に受けそうな子たちなんですよ。
イニャリトゥ監督は、上手いですねー。
日本人の女の子の魅力を、外国人の方がよく知ってるじゃん・・・という感じ。
引き出し方をね。
この時代、まだ「ルーズソックス」なんて履いてた頃よ。
可愛いです。あんな超ミニの制服やルーズソックスは今は姿消してるけど。

そう言えば、教授の番組「レディ坂」に菊地さんがゲスト出演して、言ってましたよ。
「監督が、しょっちゅう”誰が一番いい監督だ?俺だろ?そうだろ?”って聞くんですよ」って。
彼女がそれに対して何と答えたかは忘れましたけど。
面白いですね。
そして監督は、映画の撮影中、ずっと教授の「美貌の青空」をかけっ放しにしてた、とも言ってました。
ふ〜ん・・・
あれはね、歌詞が面白いんですよね。
でも映画で使われてたのは、「1996」バージョンだから歌なし、ですけど。
たまきもこの曲に歌詞をつけて歌ったのよ。

話がだいぶ脱線しました。
とにかく彼女は、ただ「世界に至る扉」を求めていただけなのよ。世間への扉、というか。
それでたまきは、ヘレンケラーについての映画「奇跡の人」を思い出した。
彼女は耳だけではなく、視覚障害もあり、音もない、目に見える形もない世界に住んでいた人です。
彼女曰く「空白の世界」「虚無」です。
だろうな、と思う。
でも、「奇跡を起こした」アニー・サリバンのおかげで、その突破口を見出したのです。
「虚無の世界」から、ヘレンは世界へ、と出て行った!
ヘレンの家庭教師アニーは天才です。
それまで、盲目でろうあの人を救えたどんな医者も教育者もいなかったので、彼女の起こしたミラクルは、世界的に有名になった。
アニーは、自分で考案した「指文字」で、全ての物には形があり、名前を持っている、という概念を、ヘレンに教えることから始めた。
指文字の次に点字を覚え、最終的には、ヘレンは話すことすら可能になった!
「不明瞭ではあるが、彼女は話すこともできた」そうです。

たまきは思ったんだけど、トレーナーを育成し、その人たちが数年の特訓をろうあの人達にしたら、話せるようになるのじゃない?1年でもいいかも。
手話って、理解する人が限られてるから、筆記でしか自分のことを説明できない、というのは不便すぎる。
彼らは人の口の動きで話を理解できるのだから、例え不明瞭でも
話すことができたら、普通にコミュニケーションができますよね。
目が見えるって、大変な強みで、ヘレンに比べたら格段にいい条件なのだから、訓練次第で可能なはず。
例えば、声の波型を示すグラフを見て、トレーナーの波型と同じになるまで、「こんにちわ」だの「またね」などと、簡単な言葉を繰り返す。口の形がトレーナーと同じになるように、「あ・い・う・え・お」と発生練習をする。
た行、か行、などの、区別の難しい発音の練習は、舌の形を見せながらやる。舌の形を図に書いて見せる。
アニーはヘレンに、彼女の喉に手を当てさせて、「こうやって声を出すのよ」と教えてたようです。

それと、将来は、聴覚障害を十分補佐できるようなイヤホンみたいなものができる可能性と、障害自体を治す医学的進歩も考えられますね。

最後に。
リチャードが、幼い息子の声を電話で聞いた途端に、それまで張りつめていた緊張感と不安から、堰を切ったように涙があふれ出すシーン、いいです。
ブラピは、この映画がとても好きだ、と言った、と何かで読みました。
いい話だもんね。
ヘリコプターがスーザンをモロッコの古い建物の間を縫って運ぶシーンが幻想的で、時空を超えて飛ぶ異次元から来た乗り物のように見えた。
進んだ医学を得るのが困難な場所から、一瞬で文明の世界へ、と
運んでくれる不思議な美しい乗り物。そんな感じ。
普通のヘリなのに。お気に入りのシーンです。

ブラピの最新の映画、「Once Upon a Time in Hollywood」が、
完成したんですね!
ディカプリオも出ます。すごい!
夢の競演、ですね。タランティーノ監督よ〜。
少し予告を動画で観たけど、めっちゃ面白そう。↓
https://www.bradpittweb.com/

シャロンテート事件が絡んだ話らしいから、もっと陰鬱な映画を
想像してたけど、全然そんな感じじゃなくて、全体に軽いノリの
明るい映画のようでしたよ。
事件のあたりになると、勿論そんなことはないだろうけど。
たまきのヨーロッパの英語の先生も、「ブラッドピットにディカプリオ!ああ、待ちきれない!」
と言ってました。
この二人、女性以上に男性に受けるから不思議。

6月26日封切、とあるけど、日本上陸は10月か11月くらいになるのかな?
楽しみです。

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