貞山堀から海岸に出られないものかと運河沿いを走ってみたのですが、フェンスや荒れ地にさえぎられて浜に向かう道がありません。
しばらく行ったところで「震災遺構 荒浜小学校」という標識があったので、ちょっと寄り道、立ち寄ってみました。それが写真一枚目です。
この「震災遺構 荒浜小学校」、津波で廃校になった小学校の校舎を、遺跡、兼、津波避難所として保存してあるものだそうです。
校舎の壁には大きく「ありがとう 荒浜小学校」と掲げられてあります。また、壁には当時の津波の高さが掲示されてありました。
校舎の内部は1階と2階は津波の被害を示すために空きのままになっていて、3階と4階は震災と津波に関する展示があり、校舎が津波に呑まれた様子などが掲示してあります。
展示のなかに、かつての貞山堀の写真がありました(写真二枚目)。松林の中を流れる風光明媚な場所だったようです。
震災後の復興にあたって、この松林を復元することより、津波対策で堤防を築くことが優先された結果、前回の記事のあの殺風景な景色になったのでしょう。堀の手前にあった「かさ上げ道路」も、津波が砂浜の堤防を越えてきた時に備えて、第二の堤防として整備されているもののようです。
写真三枚目は屋上からの景色です。
かつてここには荒浜の集落がありましたが、いまでは周辺の広大な松林も含めてすべて空き地になっていて、唯一そこにあるのは真新しい墓地だけです。
この後砂浜にも立ち寄ってみたのですが、堤防を越える通路は最小限に抑えられていて、まるで、今後この地域の住民は砂浜に出ないことが推奨されているかのようでした。
この荒浜に限らず、東北の沿岸各地で大規模な津波対策工事が進められているわけですが、来るとしても数百年後になる次回の巨大津波に備えて、慌てて地形を全部作り変えてしまうような工事には、個人的にはあまり賛同しません。
何とはなしに海沿いにやってきましたが、考えさせられる旅の終わりになりました。
(おわり)
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