ショッピングセンターのエスカレーターを下っていた。
3階から2階に降りるエスカレーターに乗っているときに、2階から1階に降りるエスカレーターに乗ろうとしている老婆の姿が目に入った。
年老いて、身体も弱くなっているようで、エスカレーターに乗るにもかなり苦労している様子。
あのベルトコンベア的な階段のスピードについて行けず、一歩足を前に踏み出して、あの流れる階段の上に身体を乗せることができない。
大丈夫かいな。
上のほうから見下ろしていると、危なっかしくもなんとか老婆はエスカレーターに乗ることができた。
しかし、その老婆はエスカレーターが1階のフロアに到着するとともに、ガシャンと音を立てて倒れてこんでしまった。
まあ無理もない、エスカレーターに乗るときも、スピードが速すぎて足を踏み出せなかったくらいだから、降りる時もエスカレーターの進むスピードに合わせて足を踏み出すことなんてできるわけがない。
一階のエスカレーターの降り口で老婆が倒れている。
そのすぐ後ろに並んでいた女性が、老婆を介抱するようにその脇にしゃがみこんだ。
一階のエスカレーターの降り口が二人によって塞がれた状態で、そこへ次に並んでいる私がエスカレーターに乗って突っ込んでいく。
わー、ストップ、ストップ。早くそこをどいてくれー。
老婆を介抱している女性に声をかけ、その場所をどいてもらいつつ私が老婆を立たせた。
大丈夫ですかと声をかけても老婆は全く動かない。
気が動転しているのか、わかっちゃいるけれど身体が付いてこないのか、子供に抱きかかえられた猫のようにグニャーンとダレきっているだけだった。
そうしているうちに、私の次の人がエスカレーターの降り口まで来てしまった。
完全に私は取り乱して、とりあえずその場所から移動させなきゃならないのに、あまりの老婆の無反応ぶりにパニくり、その場でフリーズしてしまったのだ。
私の後に来た女性が私の手から老婆を引き継ぎ「大丈夫ですか」と声をかけながら、エスカレーターの横に移動させてくれた。
ああ情けない。何で私はああスマートに処理ができなかったのだろう。
それに比べて私の次に来たあの女性の頼もしいことったら。
あの女性はきっと、家族や生活の中で、お年寄りを介助した経験があったのかもしれない。
そういえば私は最近、いや、だいぶかなり長い間、他人から自分に体重を預けられるような直接接触をしていないことに気が付いた。
そういうのって、ある人は日常的にあるんだろうけど、ない人は本当に宇宙空間の真空状態くらい無いよな。
【人間の身体は堅いのか柔らかいのか分からず力加減に迷ったときは】
〖教義〗悲しみを知って優しくなれるというのはそういう力加減を知るという事
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