「言葉ってのは文化を背負うもんなんだよ。
例えば『Hello』と言われれば『Hi』だし、『Hi』と言われれば『Hello』とかえすんだよね」
外国語が堪能な方が言っていた、この言葉が忘れられない。
何か大事なことを伝えているのは分かるが、その核心となる意味みたいなものは、言葉を聞いた時には理解できなかった。
最近「ちいといつさんって、ゆっくりした印象がありますね」と言われた。
そんな風に言われたのは、生まれて初めてだ。
それを聞いていた周囲の人も、私に対する印象は同じで、私には独特のゆったりとした間があるのだと言う。
決してマイナスのイメージではない、というフォローをしてくれているので、気を沈ませてはいないが、私としては結構、衝撃的な内容であった。
というのも、自分自身では、考えることなく感じたままをかなりせっかちにおしゃべりをする人間だと思っていたからだ。
いつの間にスローモーな人格へ変貌していたのだろうか。
そういえば、日記を書くようになってから、言葉の使い方をちょっと考えるようになった。
PCの画面上で作文するとき、単語の意味やニュアンス又はそれらの組み立て方を、いつもじっくりと吟味する。
最近、日常の会話でも、そういった文章作りを頭の中でしていたような気がする。
当然、会話のテンポは遅くなっていただろう。
イメージ、信用、センス、感情、ルール、思想、言葉には様々な思いが入り混じる。
言葉はそれを使用する単位における、成熟のバロメーターなのかもしれない。
それを国家単位で表現するなら“文化”だし、個人単位でいうならば“印象”だということだ。
決して加齢が原因ではない。
ログインしてコメントを確認・投稿する